Manmin News, Manmin, Manmin Central Church, drLee, jae-rock Lee
 
 

光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
New Update
光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

十字架の道シリーズ(16) - 十字架の処刑(3)

万民ニュース   第 53 号
7446
2007. 06. 24


<目次>
1. イエス様の着物に含まれた神様の摂理
2. イエス様が手足に釘を打たれた理由と十字架につけられたふたりの強盗についての記録の差
3. イエス様のすねが折られなかった摂理とイエス様が血と水を注ぎ出された霊的な意味

「しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」(ヨハネ19:33-34)

イエス様があわれた苦しみの摂理がわかれば、神様の愛を深く悟って熱い信仰生活ができます。今回はイエス様が十字架につけられ、すねが折られないで、血と水をすべて注ぎ出された苦しみの霊的な意味について伝えます。

1. イエス様のすねが折られなかった摂理

イエス様は十字架で数時間、ひどい苦しみを受けられて、ついに亡くなられました。その日は金曜日で、その翌日はユダヤ人が大いなる日として守る安息日だったので、死体を木にかけておけなかったのです。それで、ユダヤ人たちはピラト総督に十字架につけられた囚人たちを取りのけるよう願ったのです(ヨハネ19:31)。
ローマの兵士はイエス様の十字架の左右につけられた強盗のすねを折って、死体を片づけました。十字架につけられた人のすねを折れば、これ以上すねで体が支えられないので、早く息が絶えるようになります。しかし、イエス様はすでに息が絶えたことを確認して、すねを折らなかったのです。
<詩編34:19-20>に「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」と書かれています。イエス様はすべての人類の罪を負って木にかけられて死なれましたが、ご自身は罪人ではなく、傷もしみもない正しい人ですから、神様がイエス様のすねの骨が折られないように守ってくださったのです。
また、<民数記9:12>や<出エジプト記12:46>にも、エジプトを出た当時の民に「小羊を食べるとき、その骨を折ってはならない」と命じられました。聖書で小羊とはイエス様を象徴します(ヨハネ1:29)。したがって、イエス様を象徴する小羊の骨は折ってはならないと命じられたのであり、このような預言のみことばどおりイエス様の骨は折られなかったのです。

2. イエス様が血と水を注ぎ出された理由

<ヨハネの福音書19:34>に「しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」と書かれているとおり、すでに息絶えたイエス様のわき腹をローマの兵士が槍で突き刺したのです。いばらの冠をかぶって、全身にむち打たれた傷と、釘を打たれた手足から流れ出た血で、イエス様のお姿はまことに惨めなものでした。ところが、ローマの兵士が息絶えたことを確認しても、また槍で刺したのですから、人間がどれほど悪いかがわかります。
それでは、イエス様がわき腹を槍で突き刺されて、血と水を注ぎ出された霊的な意味は何でしょうか?

1) イエス様が人としてこの地上に来られたという証しになります。 <ヨハネの福音書1:14>を見れば、イエス様がどのような方かを知ることができます。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」すなわち、霊であられる神様が人のからだを着て、この地上に来られた方だということです。イエス様は両親の精子と卵子によって宿られたのでなく、聖霊によって宿られました。しかし、人と同じからだを持って生まれて、人と同じ成長過程をたどられたので、救い主としてふさわしい資格を備えるようになられたのです。
イエス様が「人類の救い主になれる四つの条件」とは、まず人でなければならない、不従順の罪を犯したアダムの子孫であってはならない、敵である悪魔に勝つ力があって、命まで与えられる愛がなければならない、ということでした。
したがって、イエス様は私たちのように骨と肉で造られたからだを持ってこの地上に来られ、むちで打たれれば痛みを感じ、疲れと渇き、ひもじさも感じられました(マタイ4:2;ヨハネ4:6)。このように、イエス様が人のからだを持ってこの地上に来られた方であることを確かなものにするために、ローマの兵士がイエス様のわき腹を槍で突き刺すと血と水が出て来た、と記したのです。

2) 肉を持った人も神のご性質にあずかれることを証ししています。 <マタイの福音書5:48>に「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」とあり、<ペテロの手紙第一1:16>にも「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」とあります。
また、<ピリピ人への手紙2:5>には「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」とあり、<ペテロの手紙第二1:4>には「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」と書かれています。
イエス様は人と同じからだを持っておられましたが、いかなる罪も犯されず、聖なる人生を送られました。私たちと同じような人だったので、人のような感情を感じられるけれど、真理のとおりにだけ生きられたのです。私たちもまた、イエス様のように聖なる完全なイエス・キリストの心を抱いて、神のご性質にあずかれるのです。
誰でも主を信じて、火のように祈って努力すれば、神様の恵みと力が臨んで、聖霊に助けられて、罪と悪が脱ぎ捨てることができます。「イエス様は神の御子だから聖なる人生を送られたけれど、私は弱い人だからそんなことができません」と弁解できないのです。

3) イエス様の血と水によって、私たちがまことのいのちを得て、永遠のいのちを味わうということを証ししています。
原罪も自ら犯した罪もおありにならないイエス様の血は、しみもなくて傷もない尊い血です。このようなイエス様の尊い血によって、私たちが信仰で罪の赦しを得て、永遠に生きられます。また、水は霊的に「みことば」を意味しますから、神様のみことばを聞いてそのまま行なっていくほど、罪と悪が脱ぎ捨てられて、正しい人になるのです。
それで、イエス様が注ぎ出された血と水は、私たちを変えさせる力のある血と水であり、私たちを死から救い出すいのちの血と水です。イエス様が槍に突き刺されて血と水を注ぎ出されたことは、私たちがイエス様によって罪の赦しを得て、神様のみことばに従って生きられる力を受けて、まことのいのちを得るようになったことを証ししています。

愛する聖徒の皆さん、イエス様はご自身で苦しみにあわれることで、数え切れない魂たちが救われることを思われたので、ただ喜びと感謝で苦しみの道を歩かれました。ほかの誰のためでなく、まさに私たちを救うためにすべての苦しみにあって、水と血を注ぎ出されたのです。
したがって、主の愛を深く悟り、すみやかに罪と悪を脱ぎ捨てて、神様のかたちを取り戻して、栄えある天国で永遠のいのちと幸を受けられますよう、主の御名で祈ります。


 

 

 
よく読まれている記事
   

 
総合アクセスランキング
   

 


万民ニュース, 万民, 万民教会, 万民中央教会, イ・ジェロク牧師, drLee