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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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十字架の道シリーズ[27] 燃える蛇と十字架

万民ニュース   第 64 号
7788
2008. 07. 27


「......すると、主はモーセに仰せられた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。』モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」(民数記21:4-9)

今回は、イスラエルの民が荒野で体験した燃える蛇の出来事において、私たちが悟るべきことと、イエス様の十字架とどんな関係があるのかを調べます。これで「十字架の道」シリーズを終わりにいたします。

1. 神様とモーセにつぶやいて、燃える蛇の出来事を経験したイスラエルの民

本文の<民数記21章>は、イスラエルの民がエジプトを出た後に起きた出来事です。イスラエルの民はエジプトで400年間、つらい奴隷の身であって、神様に自分たちを救ってくださいと叫びました。神様はモーセを遣わし、驚くべき神の力を現すようにされて、彼らをエジプトの奴隷の身から解放してくださいました。
イスラエルの民は、エジプトの地を抜け出せば、すぐに乳と蜜の流れる地に入れるだろうと期待しましたが、目の前の現実は全く違いました。神様は、民が祝福の地に入る資格を備えるように、荒野の生活をするようになさいましたが、彼らは悟れなくて、問題にぶつかるたびにつぶやいたり、恨んだりしたのです。結局、信仰が見せられなかったので、40年間、荒野で練られなければならなかったのです。
エジプトの奴隷の身からせっかく解放してもらったのに、民は、神様が荒野で自分たちを死なせようとすると言い、神様が下さったマナを「みじめな食物」だと言って、つぶやきました(民数記21:5)。これによって神の怒りが臨むと、致命的な毒を持った燃える蛇にかまれて、死んでいきました。
民はその時はじめてモーセのところに来て、悔い改めました。モーセが民のために祈ると、神様は災いを免れる方法として、青銅の蛇を作って、旗ざおの上につけて仰ぎ見るようにされました。モーセが青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけると、これを仰ぎ見た人は、燃える蛇にかまれたとしてもいのちが助かりました。

2. 燃える蛇の出来事で悟るべき霊の教訓

1) 私たちにどんな問題があろうと、神様の前で解決されなければなりません。
神様は人の子らの生死禍福と万物をつかさどられる、全知全能の方であられます。燃える蛇が出て来るようにもされ、燃える蛇の災いから救ったりもされました。この時、それまでいなかった燃える蛇が突然出て来たのではありません。もともと荒野には、燃える蛇とさそりがたくさんいたのですが、神様が守ってくださったので、民に近づくことができなかったのです。ところが、神様につぶやいたので、これ以上守られなくて、燃える蛇に害を加えられるようになったのです。
したがって、イスラエルの民は燃える蛇という問題の原因とその解決を、神様から見つけなければなりませんでした。同じように、人がこの地上でぶつかるすべての問題も、神様の前に解決されなければなりません。
ここで「燃える蛇」とは、敵である悪魔・サタンを意味します。<創世記3:14>で、神様が女を惑わした蛇に「一生、ちりを食べなければならない。」と言われました。ここで「ちり」とは、土地のちりから造られ、罪を犯して肉に帰ったアダムとその子孫のことを言います。アダムが罪を犯した後、蛇、すなわち、敵である悪魔は、罪の中に生きる肉の人々を餌食にして、試練や患難をもたらすのです。
世の人々は事故や病気、困難にあえば、自分の運命や偶然のせいにしますが、神の子どもたちは根本的な原因を悟って、問題を解決しなければなりません(第一ヨハネ5:18)。イスラエルの民が自分の罪を悔い改めてモーセのところに来たように、自分の過ちを悔い改めて、神様のところに出て来なければならないのです。誰でも心を砕いて罪を告白し、罪の隔ての壁を壊して光の中に出て来るとき、神様はどんな問題でも解決してくださいます。

2) 信仰の訓練を受けるとき、ただ感謝と喜びで受けなければなりません。
神様は、ご自分の子どもたちが訓練を受けることを許されて、純金のような信仰を持って祝福される器を備えるようになさいました(ヤコブ1:4)。昔の信仰の人々も、神様が約束された祝福を受けるまでは、長い間いろいろな苦しみを経て、訓練の歳月を送らなければならなかったのです。
イスラエルの民が荒野で練られたのも、結局は祝福の地、カナンを得るための過程でした(申命記8:15-16)。彼らが神様を信じて信頼したならば、つぶやくよりは、祝福してくださる神様の愛に感謝して、自分の姿を変えさせるべきでした。
私たちが感謝と喜びで訓練を受ければ、必ず約束の地、カナンに入れます。訓練の中で祝福される器を備えて、試練を通り抜けて信仰を示すとき、神様が祝福を下さっても、敵である悪魔・サタンが訴えられないのです。
しかし、つぶやいて不平を言えば、祝福はおろか、訓練が長くなるだけです。それだけでなく、感謝できないこと自体が信仰がないこと、祝福される器になっていないことの証拠です。

3) 青銅の蛇を見て信仰を持つようにされた神様の愛を悟らなければなりません。
イスラエルの民が燃える蛇にかまれたとき、旗ざおの上につけられた青銅の蛇を仰ぎ見て、はじめて生きられました。それならば、全能の神様が、青銅の蛇を見ないで御力だけで治るようにすることはおできにならなかったのでしょうか? もしイスラエルの民が百人隊長のように「ただ、おことばをいただかせてください。」という信仰だけあったとすれば、「いやされよ」と言われるだけでもよかったでしょう(マタイ8:8)。
しかし、このような信仰が民にはなかったのです。神の力がいくら大きくても、信じられなければ何の役にも立たないので、信じられるように目に見える信仰のひな型を与えてくださったのです。自分たちに害を加えた燃える蛇が旗ざおの上につけられているのを見るとき、神様が燃える蛇の災いから救ってくださったことが、さらに具体的に心に信じられたからです。
今日、本教会が不思議としるしで神様の生きておられる証拠を現さなければならないのも同じです。<ヨハネの福音書4:48>の「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」というみことばどおり、聖書に記された創造主の神様と救い主イエス・キリストを信じなさいと叫んでも、頑なな人々は信じようとしません。
はなはだしきは、神様を信じる人々も、世と妥協してみことばどおり生きられない場合が多いのです。しかし、人としてはできない神の力を見て聞いて体験すれば、信じない者でももっと神様を認めやすく、聖徒たちもまことの信仰を持つようになり、みことばどおり生きられます。

3. 旗ざおの上につけられた青銅の蛇を仰ぎ見て、救われるようにされた神様の摂理

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14-15)というみことばは、イエス様の十字架の出来事を意味します。罪のないイエス様が私たちの罪を贖うために、燃える蛇が旗ざおの上につけられたように、十字架につけられたのです。
「蛇」とはサタンを意味します。それでは、旗ざおの上につけられた蛇を見るように、十字架につけられたイエス様を仰ぎ見るとはどんな意味なのでしょうか?
イエス様が十字架につけられたことが、つまり、敵である悪魔・サタンの滅びを意味するからです。私たちが十字架につけられたイエス様を仰ぎ見ることは、敵である悪魔・サタンの死の力が打ち破られたことを信仰の目で見つめることです。ですから、それを信じるとき、永遠のいのちを得るのです。
霊の世界の法則によると、「罪から来る報酬は死」ですから、アダムが罪を犯した後、罪人になったアダムとその子孫は、みな死の刑罰を受けるようになりました。すなわち、死の支配者、敵である悪魔・サタンの権力の下であらゆる試練や患難にあい、死ねば世々限りなく地獄の刑罰を受けるのです。
このような人類を救うために、イエス様がこの地上に来られました。ところが、敵である悪魔・サタンは悪い人々を操って、何の罪もないイエス様を十字架につけて殺したのです。イエス様を殺したら、自分たちが死の力を永遠に持てると思ったのですが、結局、敵である悪魔・サタンは死の力を奪われました。
霊の世界の法則によると、死の刑罰は罪人にだけ当てはまります。しかし、敵である悪魔・サタンは霊の世界の法則を破って、原罪も、自ら犯した罪もないイエス様を殺しました。その代価として、イエス様を救い主と信じる人々を渡すしかなかったのです。したがって、十字架につけられたイエス様を救い主と信じれば、誰でも救われ、主の御名を信じて祈るとき、すべての試練や患難からも解放されるようになったのです。
イスラエルの民のうち、聞き従って旗ざおの上の蛇を見た人は生きましたが、頑なで聞き従わない人は燃える蛇の毒によって死ぬしかありませんでした。同じように今日も、イエス・キリストを受け入れれば救われますが、信じない人は救われなくて、地獄に行くのです。

愛する聖徒の皆さん、
人類を救うために尊いひとり子まで渡してくださった愛に感謝して、すみやかに主に似せられていき、この地上でも祝福されて、天でも永遠の栄光の中にとどまられますよう、主の御名で祝福して祈ります。


 

 

 
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