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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

求めなさい、捜しなさい、たたきなさい

万民ニュース   第 104 号
5561
2011. 06. 26


「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」 (マタイ7:7)


神は愛する子どもたちがイエス・キリストの御名によって求めるものは何でも与えられたいと願っておられます(ヨハネ15:16)。それで、イエス様は公生涯を始めたとき、山上の垂訓と言われている尊いみことばをもって、熱心に求めて、捜して、たたくことを教えられました。そして、求めて、捜して、たたく者は行ったわざに応じて報いてくださり、蒔けばその刈り取りもするようにされる公義の神から答えをいただけることを約束されました。それでは、私たちは何を求めて、捜して、たたかなければならないのでしょうか?


1. 求めなさい。そうすれば与えられます。

このみことばには、神の子どもが祝福された生き方をすることを願われる主の心が込められています。はたして私たちは何を求めなければならないか、大きく四つに分けて調べましょう。
第一に、神の御力と御顔を求めなければなりません。<詩篇105:4>に「【主】とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」とあります。神が上から恵みを与えて、その力によって強くしてくださってこそ、この世に打ち勝ってみことばどおり生きられます。このように強くされるためには、信仰が必要ですが(マルコ9:23)、心から信じられる霊の信仰は神が与えられてこそ持つことができます。したがって、「神の御力を求める」ということは、信仰を与えられることを求めるという意味です。また、私たちは神の御顔を求めなければなりません。これは、神がどういう方なのか知るために努力して、その御声を聞くことを求めるという意味です。「ことばは神であった。」とあるので、聖書66巻のみことばを学んで悟っていくことが「神の御顔を求める」ことになるのです。
第二に、神の国とその義とを求めなければなりません。イエス様は神の国とその義とをまず第一に求めれば、私たちに必要なすべてのものを与えると約束されました(マタイ6:33)。「神の国を求める」とは、すべての人が神の子どもとされるように、魂の救い、すなわち、世界の福音化のために祈りなさいという意味です。また、「その義を求める」とは、みことばを聞いて悟り、闇から出てきて光の中を歩み、神の聖さに似せられて、聖められるように祈りなさいという意味です。このように神の義を求めて、たましいに幸いを得ている人はすべての点に幸いを得、健康である祝福が臨みます(第三ヨハネ1:2)。
第三に、働き人になるために、または働き人として使命を果たすために求めなければなりません。私たちが神の国とその義とを求めた後は、働き人になるために祈らなければなりません。また、働き人になった人は使命をよく果たすために求めなければなりません。使命を熱心に果たすなら、より大きい使命が与えられて、多くの報いを受けます(黙示録2:10)。神の国で受ける報いはこの地上で受けるものと比べられないほど輝くものなので、それぞれの持ち場で熱心に神の尊い働き人になるために祈らなければなりません。
第四に、日ごとの糧を求めなければなりません。最後に、自分に必要な衣食住、職場、事業の場、家族の健康などを祈ると、神は約束されたとおりすべてのものを満たしてくださいます。この時 心に留めるべきことは、神の栄光を現すために求めなければならないということです。自分の快楽のために求めるなら、神は答えてくださらないのです。欲を持ってする祈りは神とかかわりがないからです。


2. 捜しなさい。そうすれば見つかります。

イエス様が「捜しなさい」と言われた理由は、何か失ったものがあるからです。はたして私たちが失ったものは何であり、どのように見つけられるでしょうか? 最初の人アダムは神のかたちに、神と交わる存在として創造されました(創世記1:27,2:7)。霊とたましいとからだを持っていたアダムは永い歳月が過ぎた後、神の命令を破って罪を犯したので、主人である霊が死んだように活動できなくなりました(創世記2:16-17)。それで、罪を犯したアダムとその子孫は神のかたちを失って、獣にすぎない生き方をしていくようになりました(伝道者3:18)。
私たちが失った神のかたちを取り戻すには、死んでいた霊が生き返って、霊である神と交わる御霊の人にならなければなりません。つまり、神を恐れてその命令を守り行い、人のすべきことを行ってこそ(伝道者12:13)、神のかたちを取り戻すことができます。このようになった人の霊を生き返らせる道はまさにイエス・キリストです。イエス・キリストを信じれば、約束されたとおり聖霊を賜物として受けます。聖霊は私たちの心に入ってきて霊を生き返らせ、私たちを真理と義に導きいれます。
したがって、聖霊に導かれて神のことばを熱心に聞いて悟り、心に糧として祈るなら、みことばどおり行えるのです。これが死んでいた霊が生き返って御霊の人に変えられる過程であり、私たちが失った神のかたちを捜す過程です。


3. たたきなさい。そうすれば開かれます。

イエス様は「たたきなさい。そうすれば開かれます。」と言われました。はたして私たちがたたくべきものは何であり、どのようにたたくべきでしょうか? それは、神の心をたたきなさいということです。聖書に「しなさい、してはならない、守りなさい、避けなさい」と書いてあるみことばを守り行っていくことが、すなわち神の心をたたくことです。
<ヨハネの黙示録3:20>に「見よ、わたしは戸口に立って、たたく。」とあるように、イエス様がまず私たちの心の戸をたたかれました。今は私たちが主を受け入れて、戒めを守り行って神の心をたたく時です。
<第三ヨハネ4>に「私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」とあるように、神は、私たちがみことばを守り行うことを一番喜ばれます。したがって、まずは罪を悔い改めてへりくだった心で恵みを求め、心に糧としたみことばに従って完全に行い、熱心に神の心をたたかなければなりません。すると私たちが求めることは何でも豊かに答えられて、神に栄光を帰すことができるのです。


 

 

 
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