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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

主イエスを信じなさい

万民ニュース   第 107 号
5380
2011. 09. 25


「そして、ふたりを外に連れ出して『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った。ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。」(使徒16:30-32)


使徒パウロは伝道旅行中、ピリピで占いの霊につかれた若い女奴隷に出会って、その霊を追い出してあげました。ところが、この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者でした。それで彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行きました。結局パウロとシラスは何度もむちで打たれて、奥の牢に入れられ、足に足かせが掛けられました。
こうなっていても、ふたりは真夜中ごろ、神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、突然、大地震が起こって、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまいました。
ふたりを厳重に番をするように命じられた看守は、目をさまして見ると、牢のとびらがあいているので、びっくりしました。囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとすると、パウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と安心させました。
看守はパウロとシラスとの前に震えながらひれ伏して、「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と聞きました。ふたりは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と福音を伝え、彼とその家の者全部が救われました。
このように私たちがパウロのように力強く主イエスを伝えるためには、どうすべきでしょうか?


第一に、いつものように祈らなければなりません。

私たちは呼吸しなければ死ぬように、祈りは霊の呼吸のようなもので、祈らないと私たちの霊は結局、死ぬしかありません。霊である神と交わることができないので、聖霊の声を聞いて働きかけられ、御霊によって導かれることもできず、肉の願いに勝てなくて罪を犯すようになるので、結局、霊が死ぬようになるのです。また、祈らなければ、試練や患難にあって、世の誘惑に落ちやすいのです。
それだけでなく、神によって強くされないので、使命を果たすことが難しく感じられます。祈ることによって神にゆだねて、そのみこころに従うなら、使命を果たすことは決して難しくありません。
しかも罪と悪がはびこっている今日は、敵である悪魔が食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っている終わりの時です(第一ペテロ5:8)。したがって、いつも目を覚まして祈り、神によって強くされて、自分だけでなく、神がゆだねてくださった魂たちまでも敵である悪魔・サタンから守って、完全に使命をやり遂げなければなりません。


第二、聖書66巻、神のことばを武具として身に着けなければなりません。

火のような祈りとともに、みことばが完全に心の糧となっているなら、聖徒が何かの問題で相談に来ても、そのつど聖霊に働きかけられて、必要なみことばをもって神のみこころを悟らせることができます。このように霊的なみことばで聖徒を顧みると、どんな試練や患難がやって来ても十分に勝ち抜いて、信仰の岩の上に立つことができます。
しかし、同じみことばを伝えても、誰が伝えるかによって、人を変えさせるみことばの権威が違います。これはその行いに違いがあるからです。自分で行いながら教えるとき、聖霊が働いてくださるので、みことばが聞いている人のたましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通して、たましいを砕いて罪を告白するみわざが伴います。
したがって、務めを持っている人であるほど、みことばを聞いて行うだけでなく、よく教えられるように武具としなければなりません。


第三、神の力をしるしとして現さなければなりません。

主の弟子たちはみことばに伴うしるしをもって福音を宣べ伝えると、多くの人が救われました(マルコ16:20)。
同じように、私たちが受け持っている区域や地域でも、神がともにおられるしるしが伴うなら、そのみことばが確かなものとされるので、もっと権威をもって主のわざを進めて、より大きくリバイバルすることができます。
たとえば、誰かが病気にかかったり、試練の種ができて苦しんでいるなら、皆が心を一つにして祈り、すみやかに問題が解決されて答えられるようにしなければなりません。このような体験があれば、聖徒たちが心を一つにして集まり、信仰が成長するだけでなく、聖霊に満たされるようになり、主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださいます。


第四、愛をもって聖徒を顧みて、心を一つにするように導かなければなりません。

働き人がどれほどまことの愛をもって聖徒を顧みるかによって、その霊的な状態が変わってきます。熱心に訪問して祈ってあげて、心を込めて顧みると、聖徒たちも家族のような親密な関係を持つようになります。
もし区域長なら、それぞれの家庭に箸が何本あるか知っているほど、細やかに関心を注がなければなりません。ひょっとして問題があったり、迫害されたりしている区域員はいないのか、いつも見回さなければなりません。このように愛をもって聖徒を顧みると、区域員が心から従うようになり、実の家族に打ち明けられないことまでも分かち合える信頼を寄せるようになります。


第五、伝道の火をつけなければなりません。

聖徒が自ら伝道して聖徒を顧みてこそ、牧者の心が感じられます。何よりも伝道をすると、上から下さる聖霊の満たしを経験します。したがって、伝道すれば教会はリバイバルするだけでなく、伝道する人のたましいに幸いを得るようになるなど、多くの益が得られます。
ですから、熱い伝道の火をつけるためには、聖徒たちが火のように祈るように導いて、みことばによって信仰と希望を植えつけなければなりません。また、神の力を、伴うしるしをもって確かに現し、霊の愛で聖徒を顧みて、互いに一つになるようにすると、あえて誰かにさせられなくても、自ら心が熱くなって伝道するようになります。
神によって強くされた働き人になり、数多くの魂を救い、神の国を大いに実現していきますよう、主の御名によって祝福して祈ります。


 

 

 
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