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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

初代教会

万民ニュース   第 108 号
5627
2011. 10. 23


「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。・・・神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:43-47)

主の復活、昇天以後、約二千年間、この地上には数多くの教会が建てられました。今も世界中に多くの教会があります。その中で、主のみこころに一番かなうように働いた教会は、イエス様に直接教わった弟子たちと使徒たちによって建てられた初代教会です。
主がともにおられるみわざが現れて、大きい迫害の中でも爆発的なリバイバルをなした初代教会は、全ユダヤとサマリヤはもちろん、全世界を福音化する礎石になりました。現在も初代教会に似た教会があるなら、主はともにおられて、驚くべきみわざを施してくださいます。いったい初代教会の特徴は何なのか、調べてみましょう。


1. 使徒たちによって多くの不思議としるしが行われました

<使徒2:43>に「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。」とあります。「不思議としるし」は、人の力では決して行えないものであり、ただ全知全能の神の力でだけ起きるものです。
たとえば、長い間の干ばつの中で雨を降らせたり、台風の進路を変えたり消滅させたりすること、死んだ者を生き返らせ、目の見えない人の目が開くように、聞けない人が聞こえるように、歩けない人が歩けるようにするなど、人の力ではとうてい不可能なことです。
これらのことは全能の神の力だけで可能なのです。ですから、不思議としるしをもって、神の生きておられることを証しすることができるのです。その時、不信者や信仰が小さい人も神を信じることができて、信仰が成長できます。特に科学と知識が発達して、罪と不法がはびこっている今日では、さらにこのような不思議としるしが必要です(ヨハネ4:48)。
それでは、初代教会当時、多くの不思議としるしが行われた理由は何でしょうか? その当時の聖徒はいつも聖霊に満たされて生きていたし、ただ主の教えに従おうと努力しました。それで、聖霊のみわざが大いに起きることができました。さらに当時は、使徒たちが直接治めていました。
「使徒」とは、霊的に「自分の意思がなく、心を尽くしてただ主人の心に従う人」のことです。したがって「主の使徒」とは、「主の心に似せられて聖められ、主のように神のみこころに完全に従う人」です。このような人は神に愛されて認められ、上から神の力を授けられ、さらに権威ある力も行えます。
初代教会の聖徒たちは神の力によって日増しに信仰が成長し、主のしもべでなくても、ステパノ、ピリポ執事のように神の力を行う人も現れました。彼らは神に栄光を帰して、自分たちが体験した聖霊のみわざを広く伝えたし、教会はリバイバルを繰り返しました。
<第一コリント4:20>に「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」とあります。この力は、主の心にならって、悪はどんな悪でも避けて聖められた人に与えられます。皆さんも完全に聖められて、主の使徒として不思議としるしが行えますように。


2. 聖徒たちがいっさいの物を共有にして、資産や持ち物をみなに分配していました

<使徒2:44-45>に「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。」とあります。これは、聖徒の間にどれほど霊の愛が豊かだったかを表しています。聖徒は主の血の代価で買い取られた兄弟姉妹なので、彼らは自分のもの、あなたのものと言わず、主の愛を行いと真実をもって実践しました。彼らの中には、よみがえられた主を直接、目撃した人もいました。ですから、天国の望みで熱く、この地上に財産を積もうとする欲がなかったので、持ち物を売っては、貧しい人に分配して、いっさいの物を共有にしていたのです。
今日は物質万能主義と利己主義が広がっています。したがって、初代教会のような聖徒を見つけるのはやさしくありませんが、決して難しいことでありません。信仰にあってまことの兄弟だという家族意識を持って、物質の欲を捨てればよいのです。隣人を自分自身のように愛する行いを通して、キリストの光と香りを放てばよいのです。そうする時、多くの人がその行いを見て、主のふところに飛び込んでくるようになります。
ところで、「資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた」という意味は、単に物質だけに限られません。互いに心を分かち合うという意味もあります。自分の意見だけ正しいと主張するのでなく、相手の意見を尊重して受け入れることです。そうする時、教会の中にどんな対立や葛藤や紛争もなくなります。あらゆる分野で平和を保って、分かち合い、相手のことを顧みるとき、うるわしい教会になれるのです。


3. 聖徒が毎日、心を一つにして宮に集まりました

<使徒2:46>に「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、」とあります。ここで「パンを裂き」とは、「真理である神のことばを読んで、聞いて、学んで、心に糧とすること」を意味します。
初代教会の聖徒は使徒たちから熱心に神のことばを聞いて学びました。そのみことばどおり行うために、いつも目を覚まして祈りました。このために初代教会の聖徒たちは毎日、聖殿に集まりました。このように集まって、火のように祈って、神によって強くされたので、みことばどおり歩んでいけました。また、伝道して、忠実に仕えて、この地上で祝福され、天国にも報いを積んでいきました。
今日は、多くの教会がますます集まることをやめています。早天礼拝がなくなった教会もあります。<ヘブル10:24-25>に「また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」とあるように、教会は集まって祈らなければなりません。聖殿に集まって、祈りの火がいつもめらめら燃え上がるとき、聖霊が働かれる教会、いつも恵みと真理で満たされている教会になれるのです。


4. 神を賛美し、すべての民に好意を持たれ、主が毎日救われる人々を仲間に加えてくださいました

<使徒2:47>に「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」とあります。「神を賛美した」ということは、いつも喜んでいて、すべてのことに感謝する信仰生活をしていたという意味です。天国の望みが満ちているから、喜んでいて、感謝して、神を賛美できます。キリストの香りを放つので、周りの人に好意を持たれるようになり、神が多くの人々を送ってくださいました。
聖徒たちがキリストの香りを放つとき、人々が「あの人は本物のクリスチャンだ。あの人を見たら私も神様を信じてみたい」と好意を持つでしょう。これによって神が栄光をお受けになり、多くの人々を教会に導かれます。このように教会が神のみこころに従って行うとき、神が喜ばれてリバイバルという祝福を下さるのです。

愛する聖徒の皆さん、
初代教会の聖徒たちは主を信じて、神を第一に愛しました。<第一ヨハネ5:3>に「神を愛するとは、神の命令を守ることです。」とあります。神を愛すれば、神も愛してくださいます。神に愛される教会は初代教会のように不思議としるしが現れて、多くの魂を救うことができます。聖徒もたましいに幸いを得ている祝福、健康や物質、家庭の祝福など、求めることはどんなことでも答えられるようになります。聖霊の力によって建てられた初代教会をみならい、まことの信仰を持って神に栄光を帰し、多くの魂を救うために地の果てにまで福音を伝える幸いな教会と聖徒になりますよう、主の御名によって祝福して祈ります。


 

 

 
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