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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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「十字架の道」シリーズ(8) - なぜ、イエス・キリストは私たちの救い主となられるのか?

万民ニュース   第 45 号
8255
2006. 9. 17


-救い主の資格条件(1)-

「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。」 (第一コリント2:6-7)

「十字架の道」シリーズ(8)

神様の愛を知らない人々は
イエス・キリストだけが救い主になられ
この御名のほかには救われないと言うと、
疑ったり、あまりにも独善的だと非難したりします。
ですから、なぜ、イエス・キリストだけが
唯一の救い主となられるのかをはっきり悟って、
すべての人々が救われるように
伝道に努めなければなりません。

<目次>

「なぜ、イエス・キリストは私たちの救い主となられるのか?」
1.土地の買い戻しの法則
2.救い主の資格条件(1)
3.救い主の資格条件(2)

アダムが善悪の知識の木の実を取って食べ、死に至ることをご存じだった神様は、土地の買い戻しの法則により救い主としてふさわしい資格を備えた方をあらかじめ備えておかれました。その方がまさにイエス・キリストです。
これから、なぜイエス・キリストだけが唯一の救い主になられるかを四つに分けて説明します。

1. イエス様は「人でなければならない」という救い主の最初の資格条件を備えておられます。

土地の買い戻しの法則が記されているレビ記25章25節には、「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とあります。
土地を売った人の親類だけが土地を取り戻せるように、アダムの罪によって敵である悪魔に売られたアダムの子孫を取り戻そうとするなら、必ずアダムの親類でなければなりません。
それでは、アダムの親類とは誰でしょうか? まさにアダムのように霊と魂と肉を持った存在、すなわち人のことです。
コリント人への手紙第一15章21-22節にも、「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」とあります。
このように、人の罪の代価を代わりに払うためには人でなければならないということが、救い主の第一の資格条件です。
ところで、イエス様は創造主神様の御子で、根本であられる神様の本体であり、分離された神としての力と権威と栄光を持った方なのに、どうして人の親類になられるのでしょうか?
ヨハネの福音書1章14節にはイエス様について「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあり、ヨハネの福音書1章1節には「ことばは神であった。」と書かれています。それで「ことばは人となった」とは、神様が肉と骨を持った人のからだとなってこの地上に来られた、という意味です。
イエス様は人の罪を贖われるために人のからだからお生まれになられ、人だったので眠られたり、空腹と渇き、喜びと悲しみを感じられたりしました。また、十字架にかかられた時は血も流して、痛みも感じられました。
歴史的にも、イエス様が人としてこの地上に来られた確実な証拠があります。それはまさに、イエス様の誕生を基点として、世界の歴史が大きくB.C.とA.D.に分けられるという事実です。このように人類の歴史の基準自体がイエス様の誕生時点であることだけ見ても、イエス様は確かに人としてこの地上に来られたことがわかります。
したがって、神様の御子として肉をまとってこの地上に来られたイエス様は、土地の買い戻しの法則により「人でなければならない」という救い主の第一の資格条件を満たす方です。

2. イエス様は「アダムの子孫であってはならない」という救い主の第二の資格条件を備えておられます。

それでは、アダムの子孫はなぜ救い主になれないのでしょうか? アダムの子孫はすでに生まれてから、不順従だったアダムの罪を受け継いで生まれるからです。
神様は人を創造されるとき、アダムとエバにいのちの種、すなわち精子と卵子を下さって、これを通じて新しい生命が宿るようにされました。このような精子や卵子の中には両親の気質が全部入っていますが、両親の性分や性質、本性、容貌ばかりか、習慣まで入っています。それで子どもたちは両親の顔や体形はもちろん、性分や習慣までも似るのです。
最初の人アダムが罪を犯した後には、先祖の罪の性質が子孫にも伝えられましたが、これがまさに原罪であり、すべての人は生まれながらにしてアダムの罪の性質を受け継いだ罪人なのです。
ローマ人への手紙5章12節にも「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった」と書かれています。アダムひとりの罪によってすべての人に死がはいったので、アダムの子孫はみな罪人なのです。
もし自分が罪人ならば、他の人の罪を代わりに負うことはできません。たとえば、弟が多額の借金を負って監獄に行くことになったとしましょう。しかし、兄も弟のように借金があって監獄に行く立場なら、弟の借金を返してあげる力がないということです。
同じように、人の罪を贖う救い主は罪人であってはなりません。ところが、アダムの子孫はみな原罪を持った罪人で、他の人の罪を贖うことができないので、人の中には救い主になれる第二の条件を満たす人がいないのです。
それでは、はたして誰が「人でありながら罪人であってはならない」という条件を備えられるでしょうか? この世でただひとり、人として来られた神様のひとり子イエス様だけが、人でありながらもアダムの子孫、すなわち罪人ではないのです。
イエス様は肉的にはダビデの子孫で、ヨセフとマリアが両親ですが、マタイの福音書1章20節を見れば「その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」とあり、マタイの福音書1章23節には「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」と書かれています。
イエス様はヨセフの精子とマリアの卵子を通して宿られたのではなく、聖霊の力で宿られたのです。全能の神様は、聖霊の力でいくらでもイエス様をマリアのからだに宿らせることがおできになるのです。
このように、イエス様は単に処女マリアのからだを借りただけであり、聖霊の力で宿られたのでアダムの子孫ではなく、両親の気質を全く受け継がれず、原罪がないのです。
ここで一つ覚えておかなければならないことは、たとえ処女マリアがイエス様をみごもったとしても、イエス様の母にはならないということです。かりに科学が発達して、人の精子と卵子で宿った受精卵を機械で十月間育てたからといって、機械が親にならないのと同じです。
したがって聖書を見れば、イエス様がマリアに対して「母」と呼ばれたことはなく、「女の方」と言われたのです(ヨハネ2:4、ヨハネ19:26)。時々「イエスの母」と記されているのは、弟子たちの立場から記したからであり、マリアは決して拝む対象にはなれません。私たちが拝み祈る対象は、三位一体の神様だけだという事実を覚えなければなりません。
イエス様がなぜ私たちの救い主になられるのかについては次号に続いて証しします。

愛する聖徒の皆さん、
このようにイエス・キリスト以外には救い主としてふさわしい資格を備えた人がいないという事実を悟って、すみやかに信仰で救いの確信を持って、神様の子どもとなった特権と祝福を思いきり味わわれますよう、主の御名で祝福して祈ります。


 

 

 
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