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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

「十字架の道」シリーズ(10) - 世界の始まる前から隠された奥義

万民ニュース   第 47 号
7731
2006. 12. 17


「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」(第一コリント2:6-7)

神の御子イエス様は人としてこの地上に来られ、何の罪もないのに十字架にかけられて亡くなられましたが、これは罪人になった全人類を救うための神様の摂理でした。
したがって、誰でもイエス・キリストを信じれば、すべての罪が赦されて救いに至るだけでなく、神様の子どもとされる特権を得て祝福された人生を営むようになります。

1.世界の始まる前から隠された人間の救いの道

神様は罪人になった全人類を救う方法を世界の始まる前から計画しておかれ、時が至るまで徹底的に奥義として隠しておかれました(第一コリント2:7)。それでは、世界の始まる前から隠された救いの奥義とははたして何でしょうか?
アダムとエバが蛇に惑わされて、善悪の知識の木の実を取って食べ、呪われるようになったとき、神様は人類の救いについて予言されました。創世記3章15節に「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」とあります。霊的に「女」とはイスラエルを意味し、「女の子孫」とはイスラエル民族の中から来られるイエス・キリストを意味します(黙示録12:5)。
このように神様は、イスラエルから敵である悪魔・サタンの権力を打ち破って人類を救うイエス様が出て、十字架につけられて死なれることを教えてくださいました。敵である悪魔・サタンもこのような事実がわかったので、やがて来られる救い主を亡き者にしようと血眼になりました。
ついに2000年余り前にイエス様がイスラエルのベツレヘムの地にお生まれになり、敵である悪魔・サタンは当時イスラエルの地を治めていたヘロデ王をそそのかして、イエス様を殺そうとしました。これに神様は、夢で主の使いがイエス様の肉の父ヨセフに現われて、イエス様をエジプトへ逃がすようにされました。しかし、その後も敵である悪魔・サタンはパリサイ人や祭司長などの悪い者たちを動かして、絶えずイエス様を殺そうとしましたが、神様が守ってくださいました。
しかし、時至るとイエス様は悪い者たちに捕えられて、惨めに十字架にかかって殺されました。敵である悪魔・サタンはイエス様を殺したことですべてが解決されたと思いましたが、ここに神様の奥義が隠されていました。まさに罪のないイエス様を殺すために、敵である悪魔・サタンは自ら神様の摂理を成し遂げる道具になってしまったのです。

2.イエス様を十字架にかけて霊の世界の法を破った敵である悪魔

ローマ人への手紙6章23節にある「罪から来る報酬は死です。」という霊の世界の法則によれば、死という刑罰は罪人にだけあたるので、罪のない人に死という罰は与えられないのです。ところが、敵である悪魔は罪が全くないイエス様を殺したので、結果的には霊の世界の法を破ったことになり、法を破った代価として自分の力、すなわち人を支配して死をつかさどる力を渡すほかなくなりました。
イエス様は十字架につけられて死なれましたが、全く罪がない方なので、死の力を破って復活されました。それで、誰でも十字架にかかって死なれ、復活された主を信じれば、敵である悪魔・サタンの死の力から解放され、天国に入れるようになり(ローマ5:18-19)、女の子孫が蛇の頭を踏み砕くだろうという創世記のみことばが正確に成就しました。
もし敵である悪魔が十字架の摂理を悟っていれば、決してイエス様をつかまえて殺さなかったでしょう(第一コリント2:8-9)。神様と一つであられるイエス様はこのような摂理をご存じだったので、完全に神様のみこころに聞き従って殺され、これを通して救いの摂理を完成されました。
それで、ローマ人への手紙10章10節に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあるとおり、誰でも信仰で主と一つになれば、神様の恵みで救いを得ることができるようになったのです。

3.復活されたイエス・キリストと信仰でつぎ合わされる

私たちが信仰で主と一つになるということは、どんな意味でしょうか? イエス様はヨハネの福音書6章56節で「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。」と言われました。人の子の肉を食べて人の子の血を飲むということは、主のみことばを糧として守り行うことによって信仰の証拠を見せることであり、その時、私たちが主のうちにとどまり、主は私たちのうちにとどまられるのです。
もちろん、主を受け入れたからといって、すぐに真理のみことばを完全に守って生きることは容易ではありません。しかし、守るために努力しようとする心ならば、神様もこれを信仰と認めてくださいます。このように神様のみことばを糧として主に似せられていくことが、つまり、私たちが信仰で主とつぎ合わされて一つになることです。
ヨハネの手紙第一1章7節に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」とあるとおり、私たちが光であられる神様のみことばの中を歩んでいるとき、イエス様の尊い血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。そして、主の復活のように将来私たちも復活の栄光にあずかれて、永遠の天国で幸せになるのです。
ここで一つ覚えなければならないことは、「イエス」と「イエス・キリスト」また「主イエス」という名前には大きい差があるということです。マタイの福音書1章21節に「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」とあるとおり、「イエス」とはご自分の民をその罪から救ってくださる方、すなわち、これから救う人だという意味です。一方「キリスト」とは油注がれた者という意味で、救い主の資格を得た人を言います。ギリシャ語では「キリスト」、ヘブル語では「メシヤ」と言います。日本語では救い主のことを短く「主」と言います。したがって「主イエス」あるいは「イエス・キリスト」と言えば、救い主としてご自分の民をその罪からすでに救われた方を言うのです。
それでは、イエス様はいつ救い主になられたのでしょうか? 十字架につけられて死なれた後、死の力を滅ぼして復活された時です。「イエス様」という呼び方は十字架を背負われる前の名前であり、復活された後は「イエス・キリスト」と言わなければなりません。それで、イエス様が復活された後は、弟子たちと使徒たちが祈ったり、みことばを伝えたりするとき、「イエス様」と言わないで「主」とか「キリスト」を付け加えたのです(使徒の働き3:6)。
ここには霊的にかなり重要な意味が含まれています。私たちが「イエス」と「イエス・キリスト」の違いを知って救いの摂理を正確に悟り、イエス・キリストの御名で祈るとき、自分の力では不可能なことも主にあっては可能であることを信じて告白して祈るので、敵である悪魔・サタンが恐ろしくて震え、退くのです。

4.イエス様を救い主として受け入れ、聖霊を受けて光の中を歩んでこそ

ヨハネの黙示録3章20節に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」とあります。誰でも心の扉を開けて主を受け入れれば、罪が赦されて(第一ヨハネ1:7)、主が彼とともにおられるということです。
したがって、私たちが心の扉を開くためには、まず思いの扉を開けなければなりません。神様のみことばを聞くとき、自分の考えと知識に固執せず、認めて受け入れなければなりません。その時初めて、神様が私たちの中に聖霊を送ってくださり(使徒の働き2:38)、まことの信仰とみことばどおり生きられる力を下さるのです。
これがすなわち、水と御霊によって新しく生まれるということであり、このように新しく生まれた人は神様の子どもであって、天国のいのちの書に名前が記された天国の民になります。この地上でも守らなければならない法があるように、天国にも法があります。つまり、創造主であられ御父であられる神様のみことばを守り行わなければならないのです。つまり、光の中を歩むとき、敵である悪魔・サタンに訴えられないで、天国に至る時まで神様の保護と祝福の中にとどまれるのです。
愛する聖徒の皆さん、神様は私たちが信仰で救われる過程を公義の法則のとおり成し遂げられ、救いの摂理は隠された奥義として、神様の恵みと主の愛で完成されました。愛の神様は今でも善良な魂たちを探して、数多くの人々を救いの道に導いておられます。ですから、イエス・キリストを受け入れて信仰で一つになり、復活された主と天国でとこしえに幸せでありますよう、主の御名で祝福して祈ります。


 

 

 
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