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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」

万民ニュース   第 144 号
3997
2014. 10. 26


「それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、【主】である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」 (出エジプト記20:1-3)



堂会長イ・ジェロク牧師





神の子どもならば、聖書66巻のみことばを覚えていられないとしても、十戒くらいはクリスチャンの基本として必ず守り行わなければなりません。十戒とは、神がモーセを通して愛する子どもたちに下さった十の命令です。これは生ける神のすべてのみことばを要約したもので、聖書の骨組みと言えます。


1. 聖徒が当然守るべきだし、十分に守れる十戒

この世にも法があるように、イエス・キリストを受け入れて神に属する聖徒になれば、当然守るべき法があります。
これがまさに聖書66巻に記された戒めであり、大きく四つに分けられます。何々を「しなさい、してはならない、守りなさい、避けなさい」という戒めを守れば、神に守られているので、敵である悪魔・サタンが試練や患難をもたらせません。反対に、戒めを破るということは罪を犯すことであり、結局、罪と悪魔の奴隷となって地獄に行くのです。
したがって、聖徒は神が戒めを下さって、守りなさいと言われた理由を悟らなければなりません。私たちを縛りつけて苦しめようとするのではなく、涙、苦しみ、死、病気のない永遠の天国へと導き、この地上でも幸いな生き方をするようになさるためなのです。ある人は「私たちがどうやって十戒を全部守れるんですか?ただ守るために努力するだけでしょう」と言います。しかし、<第一ヨハネ5:3>に「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」とあります。
相手を愛するなら、大変なことを頼まれても喜んで聞いてあげるように、神を本当に愛するなら、神の命令を守ることが少しも難しくありません。しかも旧約時代には自分の意志と努力で律法を守らなければならなかったのですが、新約時代になってからはそうではありません。
イエス様がなだめの供え物になって十字架につけられられたので、私たちのすべての罪を贖ってくださったからです。また、これを信じて受け入れる人は誰でも、その心の中に聖霊が臨まれるので、聖霊に助けられます。
ですから、人の意志と力では守るのが難しいことも、聖霊によって強くされれば十分に守れるのです。真理である神のことば、すなわち、いのちの種が自分の中にあるならば、罪を犯すことができないし、真理のとおり生きていくようになります。


2. 創造主であり、救い主であり、唯一の神であるお方

<出エジプト20:1-3>に「それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、【主】である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあります。
ここで「あなた」とは、みことばを直接受けたモーセとイスラエルの民のことであり、また今日の神の子どもたちを指しています。驚くべき不思議としるしを行い、イスラエルの民をエジプトの奴隷生活から救い出された方がまさに【主】である神であるように、罪の奴隷だった私たちを救い出された方も神であられます。したがって、神の子どもならば、神のほかに、ほかの神々があっては決してならないのです。
ただ神おひとりだけが全知全能であり、生けるまことの神であり、天地万物を創造された造物主であられます。また、宇宙万物と人類の歴史、人間の生死禍福をつかさどる方であり、人にまことのいのちと永遠のいのちを与えるお方です。ところが、このような神をよそにして、世の人々はむなしい神々に仕えています。太陽や北極星を神として拝んだり、石や古木、あるいは動物などいろいろな偶像を拝んで祭事をしたりもします。しかし、このようなものは私たちを救い出す力もなく、決して祝福を与えることもできません。
<ローマ1:20>に「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」とあるとおり、天地万物を見ても、創造主がおられて、創造主なる神がおひとりであることがわかります。
地球上のすべての人類が身体の構造と機能が同じだし、黒人でも白人でも、目と耳は二つ、鼻と口は一つで、位置も同じことが見られます。数多くの動物も、目、鼻、口、耳の位置と機能が人と同じです。これは創造主がおひとりであることを教えてくれているのです。また、創造主なる神の証拠は、自然現象を見ても確かに現れています。
地球は自転と公転によって昼と夜、そして四季ができて、上げ潮と引き潮が起きて大気が循環します。このような天体の位置や動きは、人や生命体が生きていくために最も必要で適した環境に設定されています。太陽と地球も、最も適当な距離で数えきれない歳月の間、一寸の誤差もなく自転と公転をしてきたのです。
これは神の知恵によって宇宙万物が計画されて創造され、動かされているので可能なことなのです。創造主なる神がその力ですべてのものを造って動かしておられるのです。まさにこのように明らかな証拠があるので、最後のさばきの日には、誰も「私は神がおられることを知りませんでした」と弁解できないのです。
人類の歴史を見れば、福音を聞けなかった人の中でも、心の正しい人々は創造主を認めて、正道を追って生きていったことがわかります。韓国のイ・スンシン将軍も、すべてのことに人の道理を追い求め、ただ神を拝んで生きていました。神と主についてよく知らなかったけれど、祈祷師や神々を拝んだのでなく、正しい良心に従ってただ天を仰ぎ見て、おひとりの造物主を恐れかしこんだのです。
正しいお方である神はこのような人々も救われることができる道を開いておかれましたが、これがまさに「良心さばき」です(ローマ2:14-15)。旧約時代の人や福音を聞けなくて律法を知らなかった人でも、正しい良心に従って神を信じたとすれば、神はその心をご覧になって救いの道を開いてくださるのです。


3. 神のほかに、ほかの神々があってはならないと命じられた理由

神を信じると言う人の中でも、ほかの神々により頼んだり仕えることがあります。祈祷師を訪ねて行って占いや呪術に頼り、お守りをつけていたりもします。あるいは、偽りの神々に仕える宗教の儀式に参加して彼らに同調しながら、まるでそれが合理的で寛容な姿勢のように語る人もいます。神を信じない人の中には「キリスト教は神だけを信じなさいと言うから、あまりにも排他的な宗教ではないですか」と質問したりもします。
しかし、創造主はただおひとりであり、私たちに祝福といのちを与える方も神のほかには決してありません。人が拝んでいるむなしい神々は神に立ち向かう闇のものであり、神の敵である悪魔から出たものなのです。敵である悪魔・サタンが惑わして、むなしいものを拝むようにすることで結局自分が拝まれて、人々を滅びに導くのです。
したがって、神を信じると言いながらも、ほかの神々が自分の心の中にある時は、その日々の暮らしの中で試練や患難が絶えないし、涙、悲しみ、病気によって不幸になるのです。愛なる神は人がほかの神々に仕えて、永遠に滅びるのを願っておられないので、神だけに仕えて永遠のいのちを得て、この地上でも幸いな生き方ができるように「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」と命じられたのです。

愛する聖徒の皆さん、
皆さんは生ける神の証拠を見て聞いて体験したのですから、天地万物を造ってつかさどっておられる神だけに変わらず仕えてより頼みますように。それで、この地上でも天でも、神の子どもとしてあふれる祝福をいただいて楽しみますように、主の御名によって祝福して祈ります。


 

 

 
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