光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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「わたしはある」という神
万民ニュース
第 168 号
2997
2016. 10. 23
堂会長イ・ジェロク牧師
「神はモーセに仰せられた。『わたしは、「わたしはある」という者である。』…」(出エジプト記3:14)
んな方なのか」を理解することは非常に大切である。
神を信じると言いながらもその愛を感じることができず、救いの確信さえない人が多い。神はどんな方なのかを知ってこそ、神と交わりを保ち、救いの確信の中で聖霊に満された信仰生活ができる。
1. その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、ただ「わたしはある」という神
人の経験と知識の中では、すべてに初めと終わりがある。たとえば、人や動物にも「いつ、どんな親から生まれた」という初めと「いつどのように死んだ」という終わりがある。骨董品にもそれが作られた時点があって、歴史的な事件にもその発端と結末がある。
それで、神もどのように初め存在されていたのか、スタート点がなければならないかのように思う。「創造主の神は誰が造られましたか」または「神はいつからおられて、それ以前には何がありましたか」と尋ねる人々がいる。だが、人間的な思考の限界を超えて考えるなら、創造主であり絶対者である神に何かのスタート点があるということがかえっておかしい。
もし神がある時点から存在することになったとすれば、「それ以前には何があったのだろうか」と再び疑問が起こるしかない。また、誰かが神を創造するなり生んだ人がいるなら、神も完全な方になることがおできにならない。だから、絶対的で完全な神ならば、当然その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、ただ「わたしはある」という方でなければならない。
これについて<出エジプト3:14前半節>に、神がモーセに「わたしは、『わたしはある』という者である。」と仰せられたと記してある。誰かが神を生んだり造ったりしたのではなく、神はとこしえからすでに存在されていたし、とこしえまでおられる方なのである。
2. 初めに光と声としておられ、三位一体として存在し始められた神
それでは、とこしえから「わたしはある」という神はどんな姿で存在しておられただろうか?<ヨハネ1:1>に「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とある。
ここで「初め」とは、万物が創造される前、ただ神だけがおひとりで存在されていたはるか遠い昔のことを言う。被造物である人の限りある経験と知識では決して理解できない、永遠の昔を意味している。このように、永遠の昔から「わたしはある」という神について「ことばは神であった。」と記してある。神が初めに何かのかたちをとられたのではなく、ことばそのものとして存在されていたということだ。
また、<第一ヨハネ1:5>に「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」とある。ここで「光」と「暗いところ」という言葉には霊的な意味が入っている。「暗いところ」とは、不正、不法、罪と悪など真理でないすべてのものを意味し、「光」とは、罪や悪が全くなく、愛、善、正義など真理に属するすべてのものを意味している。
ところで、神は霊的な意味で光であるだけでなく、実際にも光として存在しておられた。このようにことばである神は、あまりにも美しく神秘な光の中で、清く澄んだ声を含んだかたちとして存在されていた。人が想像できない美しい光の中に、清く澄んでいて甘美でやわらかいながらも、全宇宙にとどろくほどの勇壮な声として存在しておられたのだ。
初めにことば、すなわち、初めの光と声で存在されていた神は、ある時点に至って、人間を創造しようという心を抱くようになられた。互いに愛を分かち合う対象を得ることを望まれたのだ。このような人間耕作についてのすべての計画を成し遂げるために、初めの神は御父、御子、御霊の三位一体の神として存在し始められた。
この時から三位一体の神は具体的なかたちをとることになったが、はたしてどんなかたちだっただろうか?<創世記1:26>に「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」とあるとおり、三位一体の神のかたちに似せて人が創造された。だから、神のかたちが人と同じかたちであったということがわかる。もちろん人は外見だけでなく、心も神に似せられていた。しかし、最初の人アダムが罪を犯した後、神の心に似ていた心が変わってしまい、次第に神と遠ざかってしまった。
3. 「わたしはある」という神だけがまことの神であり、ほめたたえて拝む対象
被造物である人とは違って、とこしえからとこしえまで「わたしはある」という神だけが完全なまことの神であり、私たちが拝んで愛する対象である。ところが、このような神を知らないで、金属や木、石のようなもので何かの形を作って、その前で拝んで偶像に仕えている人々がいる。
もし子どもが親のことがわからなくて、他の人に向かって「お父さん!」「お母さん!」と呼んだら、親の心がどれほど痛むだろうか。同じように、人が自分を創造された神を捜さないで偶像に仕えるなら、神のお心がどれほどお痛みになるだろう。だから、神は偶像礼拝を非常に嫌われる。
<出エジプト20:3〜5>に「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」とある。「わたしはある」という神おひとりだけがまことの神なので、その方だけを拝んで仕えなければならない。
ここでもう一つ覚えておくべきことがある。それは、この地上に救い主として来られたイエス様も創造主の神とお一つなので、人がイエス様の親にはなれないということである。もちろんイエス様がこの地上に来られた時は、人となって来なければならなかったので、おとめマリヤのからだを借りたが、聖霊によって宿られた。
<マタイ1:18後半節>に「その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。」とある。ここで「母」と言ったのは、弟子たちの立場で記したからである。人のように父の精子と母の卵子を通して両親の気を受け継いで宿られたのではなく、聖霊の力によって宿られたのだ。おとめマリヤのからだを借りて宿られただけである。
したがって、聖書を読むと、イエス様がおとめマリヤを「お母さん」ではなく、代わりに「女の方」と呼ばれていることがわかる。これは被造物である人が創造主である神の母になれないからである。ある人々はまるで神を拝むようにおとめマリヤを拝んでほめたたえているが、三位一体の神のほかには、どんな被造物も決して拝む対象になれない。
愛する聖徒の皆さん、
「わたしはある」という神は初めに光と声としておられた。永遠に愛を分かち合えるまことの子どもを得ようと、人を造って耕作するために三位一体の神として存在し始められた。創造主の神だけがまことの神だということを知り、ただ神だけを拝む幸いな信仰生活を送られるように、主の御名によって祈る。
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