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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

善悪の知識の木を生えさせた摂理

万民ニュース   第 172 号
3332
2017. 02. 26


堂会長イ・ジェロク牧師



「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」 (創世記2:15-17)



神の大いなる愛と深くて妙なる人間耕作の摂理を知らなければ「神様はなぜ善悪の知識の木を生えさせて、人を滅びの道に向かうようになさったのですか?」と聞くこともあるだろう。では、神がわざとそんな木を置いて、人が罪を犯すようになさったのだろうか? 決してそうではない。愛なる神がエデンの園に善悪の知識の木を生えさせた理由は何だろうか?


1. 最初の人アダムに下さった祝福と警告

神が創造された最初の人アダムはおとなの姿に造られたが、知識と言えば生まれたばかりの赤ちゃんのような状態だった。それで、豊かなエデンの園にアダムを導き入れて、神は霊の世界と真理、善、光などの多くの霊の知識と万物を支配できる知識を教えてくださった。これでアダムは万物の霊長らしく、すべてのものを支配して従えるような資格を備えるようになった。

それで<創世記1:28>の「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」という祝福のみことばどおり、アダムは多くの子どもを生みながらふえていき、想像できない永い歳月を万物の霊長として大きい権威を持って、何の乏しいこともなく暮らしていた。この時、神は人に自由意志を下さり、善悪の知識の木の実だけは食べてはならないと警告されたのだ。ところが、数えきれない歳月が流れると、神のみことばを心に留められず、聞き従わなくなる。


2. 善悪の知識の木の実を食べて罪を犯したアダムと人類に罪が入って来た過程

<創世記3:1>以下を読めば、最初の人アダムが罪を犯した過程が詳しく記されている。神がエデンの園に造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾だった。今日、多くの人が蛇を鳥肌が立つように気味悪く思う理由は何だろうか?人類が狡猾な蛇によって死に向かうことになったので、本性的に嫌うのだ。

しかし、エデンの園の蛇は今日と違ってかわいくて、見た目も良かっただけでなく、人の歓心を買うことのできる知恵もあった。ある日、蛇が女に尋ねた。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」すると女は「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」と答える。

神は確かに「必ず死ぬ。」と仰せられたのに、エバは「死ぬといけないからだ。」と仰せになった、と言ったのだ。死ぬこともあり死ないこともあると、変えてしまったのである。蛇はこの隙を見逃さず「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と言った。

このようにエバが狡猾な蛇の誘惑を受け入れると、以前とは違って目の欲と肉の欲と暮らし向きの自慢が動き出して、善悪の知識の木の実がまことに食べるのに良く、目に慕わしく、いかにも好ましく見えたのだ。結局、妻のエバはその木の実を取って食べ、夫アダムにも与えた。その結果、「必ず死ぬ。」という神のみことばが臨んで「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則のとおり、罪の代価を払うようになったのである(ローマ6:23)。

だからといって、罪を犯したアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べた後、直ちに息が絶えたのではない。「必ず死ぬ。」と言われたのは、肉の死だけでなく人の主人である霊が死ぬことを意味するので、アダムと神との間の霊的な交わりが断たれたことを言う。また、罪を犯したアダムのすべての子孫まで罪人になって死に至り、この地上の万物もみな同じように呪われるようになった(創世記3:17)。

蛇はさらに大きい呪いを受けて、<創世記3:14>に「・・・腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない」と書かれている。ここで「蛇」とは霊的に「敵である悪魔・サタン」を意味し、「ちり」とは「土地のちりで造られた人」を意味する。だから「蛇がちりを食べる」ということは、敵である悪魔・サタンが罪の中で生きている肉の人々をえじきとして試練、患難、災いをもたらすという意味である。それで、肉にすぎない存在に堕落した人々は敵である悪魔・サタンの支配の下、あらゆる苦しみを味わって生きていくしかないのだ。


3. 神がエデンの園に善悪の知識の木を生えさせた理由

それでは、最初の人アダムが善悪の知識の木の実を食べることを知っておられたのに、神がエデンの園にそれを生えさせて置かれた理由は何だろうか?まことの幸せを下さるためだった。

アダムは豊かなエデンの園で不幸を体験したことがなかったので、あまりにも美しくて安らかで乏しいことが全くない所で生きていても、まことの幸せを感じられなかったのだ。人があることのまことの価値を悟るためには、それと反対になることを体験して、相対性を知らなければならない。もし生まれてから全く病気になったことがなければ、病気による苦しみと悲しみがどれほど大きいかわからないし、健康についての感謝もないだろう。飢えで苦労したことのある人でこそ豊かな食べ物に感謝できるし、悪があってこそ善がどれほど良くて、闇があってこそ光がどれほど尊いのかわかる。

最初の人アダムはエデンの園で死を見たことがなかったので「善悪の知識の木の実を食べれば必ず死ぬ」という意味がわからなかったのだ。しかし、その実を食べてエデンの園から追い出され、空腹と寒さと暑さ、死、別れ、罪と悪による悲しみと苦しみを経験した後には、エデンの園での日々がどれほど幸せだったかを悟って、徹底的に悔い改めた。

人がまことの幸せを感じることができないなら、楽に生きてもその日々に何の意味があるだろうか。たとえつかの間苦労しても、まことの幸せを感じて生きていくならば、それこそ価値ある人生と言えるだろう。それで、神は善悪の知識の木を生えさせて置き、相対性を悟れるように許されたのだ。

最初の人アダムが自由意志をもって罪を犯したので、人類は寒さと暑さ、病気と貧困、空腹、別れ、死など多くの苦しみを味わいながら生きていく。このようにこの地上で相対性を知って耕作の過程を経た後、やがて天国に行けば、そこでの日々がどれほど良いのかを悟って、神に心から感謝しながらとこしえに喜びと楽しみのうちに生きていけるのだ。

愛する聖徒の皆さん、
善悪の知識の木を置いて人間耕作を始められた神は、世界の始まる前から人間の救いの道も備えておかれた。<第二コリント4:17>に「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」とあるように、この地上でしばらく悲しみと苦しみにあっても、その後にはこの上なく栄えある天国で永遠の幸せを味わうことができる。十字架のことばを通して人間の救いの道を悟って、信仰によってまことの救いの喜びと幸せ、永遠の天国を所有されるように、主の御名によって祈る。


 

 

 
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