光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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イエス様の着物と下着に込められた摂理
万民ニュース
第 180 号
3188
2017. 10. 22
堂会長イ・ジェロク牧師
「さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、…『それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』…」(ヨハネ19:23〜24)
神の御子であられるイエス様はこの地上に来られて十字架につけられるまで、多くの苦しみにあわれた。それでは、イエス様が着物と下着を脱がされたまま十字架につけられた理由は何であり、イエス様の着物と下着に込められた摂理は何だろうか。
1. 着物と下着を脱がされたまま十字架につけられたイエス様
イエス様は木の十字架をご自身で負って処刑場のゴルゴタの丘まで上られた。ついに丘の上に到着すると、兵士たちによって着物と下着を脱がされたまま十字架につけられた。これは<詩篇22:18>に「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」とある預言が成就したのである。このようにイエス様の着物について詳しく記してあるのは、イエス様の着物がイスラエルの歴史のしるしだからである。
それなら、尊い神のひとり子イエス様が卑しい被造物である人々の前で裸の恥を現された理由は何だろうか。それは、私たちが受けるべき恥を代わりに受けるためである。罪人は当然あざけられ、さげすまれ、いやしめられるべきだが、罪のないイエス様が身代わりになられたのだ。
汚物よりもっと醜く恥ずかしいものがまさに罪である。ところが、多くの人が罪の中で生きていると、罪について無感覚になった。しかし、光が照射されれば汚いものが現れるように、光である神のことばが心を照らせば、自分の中にある恥ずかしい罪がはっきり現れる。世の汚れに染まって、罪と悪の中で生きていた人々は、将来神の審判台の前に立つとき、自分の汚れた心と行いが一つ一つ現れるので、あえて顔を上げられない。
しかし、イエス様が私たちの罪を贖ってくださったし、私たちが受けるべき恥と侮辱とを代わりにお受けになったので、これを信じる私たちは罪人が受けるべき恥ずかしさから抜け出すようになったのだ。したがって、心の芯から主の愛に感謝して、すみやかに完全に聖められることで、一点の恥もなく主を迎えられる資格を備えなければならないだろう。
2. イエス様の着物を四分した摂理
神の御子でありイスラエルの王であるイエス様の着物は、霊的にイスラエルという国家、またその民を意味する。ところで、イエス様の上着を四分したので、着物の形がなくなって切れ端だけが残るようになった。これはイスラエルという国が滅びてその形がなくなり、着物の切れ端だけが残ったように、イスラエル民族という名前だけが残るようになることを意味している。
ローマの兵士たちがイエス様の着物を分け合ったことはイスラエルがローマ軍によって滅ぼされることを意味し、四分されたことはイスラエルの民が四方、すなわち、東西南北に世界中に散り散りになることを表している。
<ルカ19:43〜44>を読むと、イエス様がエルサレムを見て泣きながら預言なさった。「やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。』」とある。
このおことばどおり西暦70年、エルサレムはティトゥス将軍が率いるローマ軍によって完全に破壊され、宮を築いていた石までみな散らされてしまった。また、エルサレム陥落の過程で100万人以上のユダヤ人が殺害され、生き残った人々も東西南北に散り散りになって暮らしながら、異邦人から多くの迫害を受けなければならなかった。
ユダヤ人が遭った最も凄惨な出来事は第2次世界大戦当時、ナチスによる虐殺である。600万人以上の人々が単にユダヤ人という理由だけで裸のまま殺されたのだ。このように数多くの人が殺されたことは、ユダヤ人が自分たちの王として来られたイエス様を殺したので、その子孫に臨んだ呪いの一つである。
ユダヤ人はイエス様を処刑させようと「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」(マタイ27:25)と告白し、そのまま報いを受けた。このようにユダヤ人はむごい苦しみの歴史を生むようになったが、イエス様の着物を四つに裂いた出来事がそのしるしである。
3. イエス様の下着をくじ引きにした摂理
イエス様の下着は縫い目なし、すなわち、いくつかの布を縫い合わせたものではない。ここで「下着」とは人の心を意味する。イスラエルの王であられるイエス様の下着はイスラエルの子孫の心を意味し、神に対する彼らの信仰を表わしている。
神の民イスラエルの先祖はヤコブである。神はヤコブの名前をイスラエルに変えて、彼の十二人の息子でイスラエルという国の十二部族を形成なさった。イスラエルの民は長い歳月、他の民族と混ざらないで単一民族としてつながったし、唯一の神だけに仕えてきた。
ところが、ソロモン王の息子レハブアムの時、内紛が起きて、南ユダと北イスラエルに分かれた。これ以後、北イスラエルは異邦人と混ざって、単一民族の純粋性を失ってしまった。南ユダだけがまことのイスラエルの子孫として、異邦人と混ざらなかった単一民族として残った。それで、イスラエルの子孫をユダの人、すなわち、ユダヤ人と呼ぶのだ。
イエス様の下着が上から一つに織られていたように、ユダヤ人はヤコブから継続して純粋な単一民族としてつながってきた。それで、ローマの兵士たちはイエス様の下着を裂かなかったのだ。これは霊的に、神に向けられたユダヤ人の心を決して人が分けたりなくしたりすることができない、という意味である。結局ローマはイスラエル民族の信仰までなくせなかったのだ。
エルサレム陥落以後、散り散りになったユダヤ人は長い歳月苦しみにあいながらもアイデンティティを失わず、ついに1948年5月14日、父祖の地に戻って独立国家を建てたのだ。これは<エゼキエル38:8〜9>の預言がそのまま成就したものである。この世のどの民族がひどい迫害と苦しみを受けながらも民族性と固有の信仰を守って、滅亡して約1900年ぶりに国を回復するだろうか。
イスラエルの先祖であるヤコブから受け継いだ民の心と信仰がそれだけ堅固で、上から一つに織ったイエス様の下着がそのまま保存されたことが、まさにこのような歴史をあらかじめ知らせてくれているのだ。
愛する聖徒の皆さん、
このようにエルサレムの陥落やユダヤ人の苦しみ、イスラエルの滅亡と再建など、すべてが聖書に記されたとおりに成就された。まだ成就していないのは、今後起きる出来事として、主が私たちを連れに再び来られることである。目を覚まして祈り、すみやかに花嫁の備えを終えて、再び来られる主を迎えられるよう、主の御名によって祈る。
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