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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

この奥義は偉大です

万民ニュース   第 187 号
2584
2018. 05. 27


堂会長イ・ジェロク牧師


「『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』この奥義は偉大です。私は、
キリストと教会とをさして言っているのです。」 (エペソ5:31〜32)




このみことばは主を受け入れて神の子どもとされた聖徒と花婿である主との関係を意味している。男女が父と母を離れて一体となるように、私たちが世から離れて主と結ばれて一体となるということがどれほど偉大で驚くべき奥義なのか調べてみよう。


1. 主を受け入れて聖霊を賜物として受け

誰でも心の戸をあけてイエス・キリストを受け入れれば、神の子どもとされた特権が与えられ、聖霊を賜物として受ける。

<ヨハネ3:6>に「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」とあるとおり、聖霊が心の中に来られれば、死んでいた霊が生き返り、御霊によって霊を生み続けて、主に似せられていくことができる。このような人は霊である神の子どもとされて、神を父と呼ぶようになる(ローマ8:15, ガラテヤ4:6)。

人の心は「明白な真理の心」と「明白な真理でない心」すなわち「白い心」と「黒い心」に分けることができる。創造主の神は最初の人アダムを造って、いのちの息を吹き込んで生きものになるようになさった。そして、エデンの園に導き入れて真理だけを教え、真理の心を植えつけてくださった。永い歳月が流れて、アダムが「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。」という神のことばを心に留められず、不従順の罪を犯してしまった。すると霊である神との交わりが断たれて罪が入って来て、真理でないものが植えつけられた。

ところで、罪を犯したアダムの子孫に新しく作られた心がある。親から受け継いだ本性に、自分が見て聞いて学んで入力したことが加えられて形成された「良心」である。つまり、真理と真理でないものが混ざって、自分なりの価値判断の基準を作り出したのだ。結果として人の心は「真理の心」「真理でない心」「良心」に分けられる。今日は神が最初の人に植えつけてくださった真理の心はほとんど残っていなくて、日が経つにつれて人々の良心はますます悪くなっている。


2. 聖霊はいのちの種を芽ばえさせて死んでいた霊を生かし

神が最初の人アダムにいのちの息を吹き込まれると、アダムは生きものとなった。アダムが神のことばに聞き従わずに罪人になると、いのちの息のほとんどが取って行かれて痕跡だけが残ったが、これがいのちの種である。いのちの種は神と交わって真理を供給されてこそ活動できるが、人が罪を犯したことによって神との交わりが断たれ、真理でないものが入って来ていのちの種をますます包むので、死んだように活動が萎縮してしまったのだ。

霊である神との交わりが途絶えて、いのちの種が真理でないものに囲まれて活動できない状態を「霊が死んだ」と言う。しかし、完全に死んだのではなく、活動をやめて生き返る時を待っているのだ。まるで、硬い植物の種が死んだように見えても、いのちが残っていれば、いつかは芽が出て育つようなものである。

それでは、人の死んだ霊がいつ生き返るのだろうか。福音を聞けば、神の真理の光が心の中を照らす。この時、心に残っている真理の心、良い心がこの真理の光を受けて、主を救い主として受け入れるようになる。このように福音を聞いて主を受け入れれば心に聖霊を遣わしてくださるが、聖霊が心の中にあるいのちの種を目ざめさせて芽ばえさせれば、いのちの種は活動を始める。このように神との交わりが始まれば、再び真理の知識を供給されて、憎しみ、高ぶりなどの真理でないものでぎっしりだった心に、愛、平和などの真理が満たされる。


3. 御霊によって霊を生んでこそ

この時、必要なものが火のような祈りである。苦しみもだえて祈るほど、上から神の恵みを受けて強くされ、真理でないものを捨てることができる。ところが、いくら熱心に祈っても、すべてのはかりごととさまざまの思弁を打ち砕かなければ役に立たない。

聖霊は真理の心をつかさどって御霊によって歩むようにするが、サタンはたましい、すなわち、思いを通して、心の中の真理でないものに働きかける。真理でないものが多ければ、まず思いを通してサタンのしわざを受けるので、肉の願うことを追って滅びの道に行くようになる。
たとえ真理を多く聞いてよく祈っても、肉の思いとさまざまの思弁を打ち砕かなければ、聖霊のみわざによって歩むことができない。祈っても心が悩むようになり、神のみわざを明らかに体験することもできない(第二コリント10:5)。

たとえ真理でない心を捨てても、それで終わりではない。邪悪な良心、言い換えれば、深い本性の中に隠されている罪の性質を発見して捨てなければならないからである。先に述べた良心が再び自分だけの深い本性を作るが、これは自分でも知らない深い心である。本性の中の真理でないものは神の義とは合わないが、自分の目には正しいので、自ら発見して捨てるのがやさしくない。

それで、愛なる神は私たちが試練に会っているうちに本性の中の真理でないものを発見するようになさり、完全に聖くしてくださる。御霊によってみことばを聞いて、熱心に自分を発見して打ち砕けば、本性の中の真理でないものもすみやかに捨てられる。

いくら神のことばを聞いても、人のことだろうとだけ思って自分の姿を悟れない人は長い歳月が経っても信仰の発展が遅い。しかし、火のような祈りで本性の中の真理でないものも発見して捨てれば、聖められた御霊の人になれるのだ。


4. 主と完全に一つになれば

このように御霊によって霊を生んでいき、真理と反対になるすべてのものを捨て、「自分の義」を打ち砕いて真理の心自体になれば、主と一つになることができる。

<第一ヨハネ2:12>以下を読めば、信仰の成長過程、すなわち、主と一つになる過程を人の成長過程にたとえている。初めにイエス・キリストを受け入れて、聖霊を受けて救われた状態を「子どもたちの信仰」と言い、熱心に真理のとおり行おうとする「小さい者たちの信仰」、みことばどおり行う「若い者たちの信仰」、成長した信仰の量りになれば「父たちの信仰」と言う。

誰でも信仰が成長して、主と完全に一つになる父の信仰の次元に入れば、心に責められることがないから、大胆に求めるものは何でも答えていただき、祝福された生き方ができる(第一ヨハネ3:21〜22)。


愛する聖徒の皆さん、
イエス・キリストを信じることで聖霊を賜物として受け、まめに御霊によって霊を生んでいき、花婿なる主と完全に一つになることで、この地上ではもちろん、最も栄えある天国、新しいエルサレムに入って祝福された生き方をされるように、主の御名によって祈る。


 

 

 
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