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イエスとイエス・キリストの違い
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「イエス様の御名によって」祈る時と「イエス・キリストの御名によって」祈る時の違いは非常に大きい。 ...
       
 
  
 

信仰生活をしながら祈っているのに相変わらず夫や家族が迫害するなら、どうすれば 問題が解決されるでしょうか?

万民ニュース   第 153 号
4546
2015. 07. 26


第一、自分に欠けたところはないのか顧みなければなりません。

信仰がない夫なら、妻が誰よりも自分を愛してほしいと思います。ところが、もし妻が「私はあなたより神様のほうがずっといいです」と言ったり、愛し愛されたいと思っている夫に「そんな肉的な愛を私に要求しないでください」と言うなら、夫の心はどうでしょうか?

これは神様が望んでおられる信仰でもないし、聖霊の働きでもなく、単に相手の心と感情を思いやれない自己中心的な行動であるだけです。本当に神様を愛するなら、他の人も愛するようになります。本当に信仰があるなら、どんな人であれ、ないがしろにするのではなく、心から対して、愛と徳で抱くことができます。相手の心が理解できなくてつらくさせるのではなく、上からの神様の知恵をいただいて、相手の心を動かさなければなりません。また、自分が「全家を通じて忠実であったのか」顧みなければなりません。たとえば、職場で自分の業務は適当にしながら、担当の聖徒を顧みるのだといって、いつも私的な電話をして席を外すなど不誠実な姿を見せる時は、神様に栄光を帰せません。同じように、子どもならば親にすべきことをしなければならないし、学生ならば学生の本分を尽くすべきです。また、家庭の主婦ならば、妻として母として当然のことをするだけでなく、喜んで自分の使命を忠実に果たさなければなりません。

神様の働きをするからといって家事をおろそかにするなら、信仰のある夫でも妻に不満を持つようになり、神様を信じない夫ならば、もっと妻を迫害し、さらに教会と神様が嫌いになるでしょう。ひょっとしてでも夫を無視したり無愛想にしてはならないし、真理に逆らうことでなければ夫の心に合わせて、まるで主に対するように夫に仕える時に、神様も喜ばれます。このようにキリストの香りを放っているのに迫害する夫や家族はあまりいないでしょう。


第二、喜びと感謝の心で行ったのかチェックしてみなければなりません。

祈って断食しながら、自分では神様にすべてをゆだねると言っても、喜んで信仰にあって耐え忍ぶのではなく、無理に悲しみながら我慢するならば、これは本当の信仰ではないので、神様のお心を動かすことができません。もし嘆き悲しんで泣きながら祈るなら、それは信仰によってしたことではありません。

火のような心からの祈りをささげて神様のお心を動かした時は、必ず自分も御霊に感じて動かされ、満たされるようになります。<ピリピ4:4-7>に「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。・・・何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」とあります。本当に信仰によって行うならば、答えられたと信じて祈るので、喜びと感謝があふれて幸せなのです。

使徒パウロやシラスが足かせを掛けられて深い牢にいても賛美をささげられたし、ダニエルが獅子の穴に投げ入れられても感謝の祈りをささげたように、信仰によって祈る時は、神様が御霊に感じて動かされ、満されるようにしてくださいます。それと同時に、上から信仰が与えられて「あなたがたの信仰のとおりになれ」というみことばが臨みます(マタイ9:29)。これがまさに答えと祝福の秘訣です。


第三、賢い方法論を使うことができなければなりません。

神様が働かれるように信仰によってゆだねますが、霊の信仰が与えられる土台は自ら行うことによって作らなければなりません。創世記32-33章を読むと、ヤコブが自分を殺しにやって来る兄エサウの心を和らげるためにどうしたのか、詳しく記してあります。

ヤコブはただ祈って断食だけして、なりゆきのままに引きずられて行ったのではありませんでした。一番先に、神様の心を動かす、切なる心からの祈りをささげました。今まで下さった祝福に感謝して、前に神様が自分に約束なさったみことばを繰り返し、当面の問題の中で働いてくださるように求める信仰の告白まで、いちいち申し上げました。このように、ヤコブは祈っているうちにどう行うのかについて、上から知恵をいただきました。つまり、神様に働くことのおできになる信仰の土台を作ってささげたのです。

たとえ兄エサウは神様の御前にふさわしくない人だったとしても、ヤコブは兄を無視して軽蔑して、きれいごとを言ったり行いを見せたのではありませんでした。練られている間にへりくだった心になったし、徹底的に低くなった心で兄のところへ出て行ったので、その中で神様のみわざが現れることができたし、兄の心も感動したのです。

このように、人との関係で問題が生じた時は、神様の知恵をいただかなければなりません。そうする時、神様は悪い人の心もつかさどって、敵をも和らがせるのです。たとえば、妻が夫に強要されて離婚しなければならない場合、善をもって行いますが、代案もなく相手が願う合意書にただ署名してはいけません。法的に支援を受ける道を調べて自分なりの対策を講じ、善の方法で最小限の権限は守れる知恵をいただかなければなりません。

火のように祈っているうちに聖霊に働きかけられれば、どんな状況でも適切な知恵と方法論を教えてくださいます。間違った方法を使う時も、悟りを下さって、そうしないように働いてくださいます。必ず、祈っているうちに聖霊の声を聞いて、働きかけに従って神様のみわざを体験できる、信仰の土台を立てなければならないのです。ただ「神様がなさるだろう」と漠然と期待しながら、うやむやに状況に巻き込まれていくのは、答えられる本当の信仰ではありません。

したがって、答えられるためには、まず具体的ではっきりした信仰の祈りがなければならないし、ヤボクの渡しでもものつがいがはずれるように祈ったヤコブのように、心からの求めを神様にささげなければなりません。すると上から平安が臨んで、喜びと感謝に満たされます。また、聖霊が働かれるうちに、どんな信仰の行いを見せればよいという賢い方法論が思い浮かぶのです。


 

 

 
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