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光である神の子どもチェックリスト三つ_自分はどれだけ光の中に生きているのか?
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2015. 10. 25 |
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<第一ヨハネ1:5>に「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」とある。また、ことばはすなわち神(ヨハネ1:1)であるので、聖書に記されていることばを守り行うことがまさに光の中に生きているということだ。
神のことばどおりに行って完全に光の中にとどまれば、求めるものは何でもいただくことができる(第一ヨハネ3:21-22)。はたして自分はどれほど光の中に生きているのか、三つの項目を通して自らチェックしてみよう。
不平を言って不満を持ってはいないか?
多くの人が自分の願いどおりに事が解決されなかったり、困った事が起これば、しばしば他人のせいにして、環境のせいにする。しかし、祝福されるのは自分自身にかかっている。さらに神の子どもならば、生死禍福をつかさどられる父なる神の愛と祝福のうちに生きていける。本当に父なる神を信じるなら、聖書に記されていることばをそのまま信じて聞き従うからだ(出エジプト15:26;申命記28章)。ところで、神を信じない人々はもちろん、信じると言いながらも苦しみの中に生きている人々がいる。これは神のことばと反対である、真理でないことを行っているからだ。憎んで、気を悪くして、怒って、ひそひそ話をして、自分の利益を求めるなど、神のことばに聞き従わないのだ。それなのに自分に近づいた困難を顧みるどころか、すべてに不平を言って不満を持ち、恨むなら、光の中に生きているのだろうか?
光の子どもならば、小さいこと一つにも感謝と喜びをもってして、相手を理解して仕えるべきなのに、相手が気に障って、人の過ちを伝えはしなかったのか顧みてみよう。いくら正しいことを言ったようでも、感情を害したまま不平を言っているなら、自分の中に暗いところがあるという証拠だということを認めなければならない。心の良い人はいくら困難な状況でも、間違ったことは自分のせいにして、何としてでも感謝して生きようとする。まして光である神の子どもならば、不平を捨てて、心からすべてのことに感謝して喜ばなければならない。このような心と口になれば、敵である悪魔・サタンが退いて、神の恵みが臨む。
相手を理解して、喜びと感謝をもって忠実に仕えるとき、教会の中でもリバイバルと祝福の実が結ばれて、各自の行いと労苦が答えと天国の報いとして与えられる。
霊的な秩序に従っているのか?
霊的な秩序に従うということは、何より神に従うということであり、神のことばに聞き従うことだ。神は全知全能であるだけでなく、私たちを造って祝福された霊の父であられる。したがって、神の子どもが神に仕えないで、とんでもないことに人が造った偶像に仕えたり、神のことばに逆らって自分の思いのままに生きていくなら、これは霊的な秩序を破ることだ。
世でも法と秩序に従わなければ処罰されるように、霊的にも霊の世界の法によって神のことばに聞き従わなければ、敵である悪魔・サタンに訴えられて、試練や患難にあう。したがって、神のことばに基づいて霊的な秩序に従うだけでなく、教会がリバイバルして祝福されるためにも、必ず霊的な秩序を追い求めて神に喜ばれなければならない。
真理である神のことばならば、小さい者が言ったとしても聞き従うべきだし、完全に真理にあって御霊のきずなによって一致しなければならない。務めを前に出して自分の意見に従うことに固執して肉的な秩序を押し出したり、霊的に先んじているからといって肉的な秩序を無視したり、礼儀に反することもあってはならないだろう。
このようにすべてにおいてどんなことが神のことばに聞き従うことであり、主のお心にかなうかを悟って、信仰の父アブラハムのように完全に聞き従わなければならない。
霊の愛で一つになろうと努力しているのか?
人は愛すると言いながら自分の心に合わなければ癇癪を起こして争い、そうするうちに愛が冷めれば裏切ったりもする。男女間の愛は言うまでもなく、親と子、兄弟間の愛も、自分にとって問題になるなら変わって、互いに背を向けるのが見られる。そうしながらも自分の過ちを認めるより相手のせいにして、相手の過ちと欠けているところだけを考える。しかし、霊の愛はそうではない。本当に光の中にとどまっていれば、相手の過ちと汚れを見て悪い感情を抱くのではなく、互いの欠けているところを覆って、我慢して、変えられることを信じて相手の力になってあげる。ひょっとして自分の心に合わないことでも、相手の立場で理解して平和をつくろうとし、またつくっていく。自分はつらくても相手を楽にしてあげて、たとえ自分は持っていなくても、相手が持っているのを見れば幸せに思う。
また、相手のために喜んで犠牲になることができて、先に低くなって仕えるが、自分を愛してくれる幾人かだけでなく、誰にでも仕えて愛する。これがまさに光の中にとどまる生き方であり、神に何でも答えていただける秘訣なのだ。ひょっとして使命を果たすために熱心に働いていても、自分の労苦と功績を認められようとしたり、真理を聞いて知っているからといって「私が正しい」と主張して、平和を壊して礼儀に反することをするなら、それは愛でもなく、光の中を歩むことでもない。主にいただいた恵みと愛を心から悟って、役に立たないしもべの心で与えられた使命を果たし、すべての人に仕えるが、感謝と喜び、信仰と希望、愛をもって忠実に仕えてこそ、光の中にとどまる生き方と言える。このように霊の愛で一つになって光の中にとどまれば、敵である悪魔・サタンが働けない。全知全能の神が守ってくださるので、家庭と職場、事業の場に祝福があふれるのだ。もし光の中に生きていたのにサタンが働いたとすれば、それは神が祝福を下さるためであることを知るべきだろう。この時もただ喜んで感謝して祈るなら、神がすべてのことを働かせて益としてくださる。
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