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イエスとイエス・キリストの違い
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「イエス様の御名によって」祈る時と「イエス・キリストの御名によって」祈る時の違いは非常に大きい。 ...
       
 
  
 

まことの価値を追求する美しい人生

万民ニュース   第 169 号
3558
2016. 11. 27


人生のまことの価値を見つけた後、新たに変えられた信仰の人々の美しい人生を通してこの世で最も尊いものが何か悟って、まことの価値を持たれるように。


自分が大切に思っていたすべてをちりあくたと思った「使徒パウロ」

パウロはもともとユダヤ人の中でも律法を徹底的に守るパリサイ人だった。大帝国ローマの市民として生まれ、当代最高の学者、ガマリエルの弟子として学んだ。自負心と自尊心が非常に強かった彼は知識をもって人と議論して勝つことが好きだったし、自分が見て正しくないことは受け入れなかった。
しかし、ダマスコ途上でイエス・キリストに出会った後、自分が味わっていたすべてのものをまるでちりあくたのように思った(ピリピ3:7〜9)。富と名誉、時間、すべてのものを神にささげたし、福音宣教のためにならひどい迫害と苦しみも感謝して受けたし、ついに殉教に至った(使徒20:24)。
この世のどんなものとも比べられない、最も価値ある天国を心に持っていたからだ。第三の天にあるパラダイス(第二コリント12:2〜4)を見ただけでも、この地上のすべての栄光をちりあくたのように思うのに十分だったし、どんな苦しみも喜びをもって勝ち抜けた(第二コリント11:23〜28)。

世ではいくら尊いものも、歳月が流れればその価値が変わる。しかし、霊である神が下さるものは絶対に変わらないし、信仰が成長して心が善に変えられるほど、その価値はますます大きくなる。
この世の空であることを追わないで(伝道者1:2)、永遠なるものを目標にしていくなら、神が上から与えてくださる慰めと幸せ、喜びと感謝があふれる信仰生活をすることができる。聖書のみことばどおり従って、主の心に似せられていくならば、父なる神と主がともにおられ、天の軍勢と御使いがともにいるので、乏しいことがない。誠実な神が約束されたみことばどおり成し遂げてくださるので、人生の目標さえはっきりしているなら、何も心配する必要がないのだ(マタイ6:31〜32,7:7〜11)。


まことの価値を悟って恐れがなかった「ニコデモと初代教会の聖徒たち」

ニコデモはユダヤ人の指導者であり、真夜中にイエス様を訪ねて行って、新しく生まれることと永遠のいのちについての奥義を聞いた(ヨハネ3:1〜21)。恐れがあったので、人の目を避けて真夜中に訪ねて行ったのだ。
しかし、イエス様との出会いを通して、慕いあえぐように求めていた真理を得て、人生のまことの価値を悟った後は、イエス様を殺そうと陰謀を企むパリサイ人の前で堂々とイエス様を弁護して、彼らの過ちを悟らせるのが見られる(ヨハネ7:50〜51)。
十字架の出来事の後は、イエス様の葬りのために没薬と乳香を持って出て来たりもした。自分のいのちを失うこともあるところで、正しいことを「正しい」と大胆に言えるようになったのだ。
初代教会の殉教者も同じである。主の復活以後、ローマ帝国時代の教会には厳しい迫害があった。主を信じる信仰を守るために数えきれない迫害を受けなければならなかったし、あらゆる残酷な刑罰で殺された。殉教者の中には貴族の将校や裕福な貴婦人、貧しい農夫と奴隷もいた。元気な青年もいたし、弱い老人も幼い少女もいた。彼らは互いに信仰を守れるように励まし合い、どう猛な猛獣の前に立った時も賛美しながら安らかに死を受け入れた。このように恐れることなく殉教する彼らの姿を通して、ローマ帝国はキリスト教を公認し、全世界に福音を伝える通路になった。

天国への希望とまことの愛があれば、力のない子どもや弱い女性でも恐れがないが、この世の欲を追って生きていく人は、元気な若い男でも大胆さを持てない。
しかし、天国の栄光を信じるなら、自分が持っているものを失うのではないかと心配したり、世の人の視線が怖くて世と妥協したりしない。天国への希望を下さった神を愛して、何でも恐れずに行えるのだ(第一ヨハネ4:18)。また、その愛を信じるので、ひょっとして自分の欠けているところや過ちを悟るとしても、直ちに立ち返って変えられることができる。したがって、すべてのことにへりくだって、いつも相手の利益を求めるが、神の栄光のためには獅子のように雄々しく行えるようにお願いする。


主のために喜んでいのちをささげるヨハネの黙示録の「ふたりの証人」

<黙示録11:3〜13>に記されているふたりの証人は将来、七年患難の間に驚くべき神の力を行うので、すべての人が彼らを恐れるが、時が来れば反キリストに捕えられて、殉教するようになる。つまり、ふたりの証人はまことの価値を「これから悟る」人々である。
もともとユダヤ教の信奉者だった彼らは自分たちが信じていることがまことなのか、クリスチャンが言っているキリストがまことなのか、葛藤が解消しなかった。そのうち七年患難が近づいたある時、まことの価値を悟って、主のために喜んでいのちをささげようと決断する。それ以後、七年患難の中に寂しく残される時も、反キリスト勢力の迫害にあっても使命への熱情が揺るがないので、天国でこの上なく栄えある座に至るようになる。

イエス様は全人類を救うために何の罪もなくむごい十字架の苦しみを受けられ、死の力を打ち破った後、よみがえって天に上られた。そして、最も尊い天国の栄光を約束して、助け主聖霊を賜物として遣わしてくださった。
聖霊に助けられて私たちの心に天国がぎっしりあり、主の前に涙で告白した愛の言葉、主の心に似せられて必ず聖められようと固めた切なる約束、熱く燃え上がった最も美しい天国、新しいエルサレムへの希望が決して揺るがないようお願いする。そして、主にお会いする感激の瞬間に「本当に悔いのない生き方をしました」と告白する美しい主の花嫁になられるように。


 

 

 
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