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「聴力と肝硬変、高血圧の問題まで解決されました!」
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トヤ・ホロルマ執事(58歳、モンゴル・ウランバートル万民教会) 10年余り前から、私は右耳がよく聞こえませんでした。 ...
       
 
  
 

23 年間失った聴力を取り戻して 賛美の働き人として 第二の人生を送っています。

万民ニュース   第 38 号
11261
2006. 2. 5


キム・アヨン執事 (1 大 4 教区、 1 − 4 女性宣教会 )

23 年間左耳の聴力を失って


子どもの頃、いたずらっ子たちが爆薬を私の左耳に当てて、石で打ちました。ドカンと音がして、一瞬ぼう然としましたが、その後左耳の聴力を失いました。
話をする時は相手の話が聞き取れなくて、聞こえるほうの右耳を相手の口に向けて集中して聞かなければならないし、小声でささやく声は全然聞こえませんでした。深刻な貧しさの中で治療を受けるのは夢のような話でした。とても不自由でしたが、そんなそぶりを誰にも見せずに生きていました。

光と塩宣教会で賛美の働きを果たすうちに

1989 年、同僚の伝道で万民中央教会の光と塩宣教会 ( 主日も勤務する聖徒のための宣教団体 ) で信仰生活を始めました。
1993 年、光と塩宣教会の賛美コンテストをきっかけに賛美を始めましたが、片耳に頼って音程に合わせることは簡単なことで
はありませんでした。それでも、練習の時は私の弱さを知っておられる神様の御前に、真心から賛美しました。

その上右耳 の聴力まで失う

2004 年の夏、水遊びをした後、聞こえなかった左耳に炎症と共に水が出て、ひどいにおいまでしました。たいしたことだと思わなかったのですが、 1 年経ったら赤黒い血膿が出てきました。
病院で診察した結果、 コレステリン肉芽種 ( 耳の中の出血や中耳炎の進行でできる炎症組織 ) で、手術しなければならないということでした。でも、私には世の医学に頼るより神様にいやされるほうが、もっと早くて安全だという信仰がありました。
ところが、 2005 年 9 月 22 日、突然右耳まで聞こえなくなりました。周辺の人の話すことも、聖歌隊員の賛美の声も、礼拝時間のメッセージも全然聞こえませんでした。まるで無声映画を見ているようでした。ついには電話で業務を処理するテレフォンマーケティングもやめなければなりませんでした。

万民祈祷院のいやしの集会に参加して右耳が開かれる

私は病院に頼るよりは、それまで停滞していた信仰を省みる機会にしようと考えました。
それで、次の日から万民祈祷院のいやしの集会に参加して、三日間断食しながら神様にすがりました。神様は悔い改めの恵みを下さいました。 17 年間も信仰生活をしましたが、相手を憎む心、ねたむ心、平和を作らずに、悔しくて不平不満を言ったことが思い出されて、徹底的に悔い改めました。
2005 年 9 月 27 日、断食の最終日でしたが、いやしの集会でメッセージが終わって、イ・ミギョン牧師先生が堂会長イ・ジェロク牧師先生の祈りを受けたハンカチで病人全体のために祈ってくださいました。その時、体が熱くなって鼻水と異物が流れ出るような感じがしました。そのうちに、右耳が聞こえ始めました。

イ・ジェロク牧師の祈りで左耳も開かれる

数日後、金曜徹夜礼拝の前、堂会長先生に会ってあかしをすると、堂会長先生はもう一度深い愛を込めて祈ってくださいました。

「聖霊の火で焼いて、炎症もいやしてください。耳は開かれよ!イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 」

祈りを受けた後、ちょっと家で 休んで 、礼拝をささげるために習慣的に左耳を掃除しましたが、赤黒い血膿が全く出ませんでした。もしやと思って、1部礼拝後、右耳をふさいでみたら、聖徒たちの話す声が聞こ
えるのです。ハレルヤ !
愛の神様は私の信仰生活を新しく変えて、 23 年間聞こえなかった耳と、数日間聞こえなかった右耳までいやしてくださったのです。神様の御力を直接体験した証人として、これから神様の生きておられることを伝える賛美の働き人になりたいと思っています。
すべての感謝と栄光を神様にささげます。祈ってくださった堂会長イ・ジェロク牧師先生に感謝します。


 

 

 
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