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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

平和の知恵

万民ニュース   第 137 号
3974
2014. 03. 23


「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」(ヤコブ3:17)





堂会長イ・ジェロク牧師




家庭、学校、職場、事業場など、自分が属している所でうるわしく事をやり遂げるには「すべての人と平和をつくれる知恵」が必要である。このような知恵があれば、人々に感動を与えて、心を一つにしやすい。それでは、どうすれば心の平和を保ち、すべての人と平和をつくれる知恵をいただけるだろうか?


1. 平和の霊的意味

平和の辞書での意味は「心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。」である。神はすべての人との平和を追い求めることを願っておられるので、平和の霊的意味は「皆を愛せる豊かで美しい心」である。

一般に、人は好きなタイプの人とはすぐ平和をつくれるが、嫌いなタイプの人とは平和をつくることがやさしくない。だが、神を愛するなら、どこの誰とも引っかかることなく、豊かな心ですべての人をいだいて平和でなければならない。心に善がなければ、平和をつくることは難しい。自分に起こってほしくないことがあれば、心が穏やかでなくなり、揺れ動くからである。

まことに心に平和をつくるためには、まず自分自身と平和をつくらなければならない。自分と平和をつくるには、心の中にある憎しみ、そねみ、高ぶり、自尊心、わだかまりなど、真理に逆らう罪の性質を完全に脱ぎ捨ててしまわなければならない。罪と悪を捨てて聖められた心に変えられたとき、初めて自分と平和をつくれる。また、夫婦、子ども、友だち、同僚、隣人など「すべての人との平和」をつくって、さらに「神と平和」もつくることができる。

神と平和をつくるとは、神と自分との間に罪の壁がない状態のことを言う。神と平和をつくるためにまずすべきことは、罪と戦って血を流すまで抵抗して捨て、悪はどんな悪でも避けて、自分と平和をつくることである。

自分と平和をつくった人は、他の人とも平和をつくることができる。イエス様はすべての人との平和をつくられた。心が良くて教養のある人、柔和で聞き従う人とだけ平和をつくられたのではない。学んだことと教養が足りない人、罪人と取税人に対する時も、愛をもって仕えて平和をつくられた。また、罪と悪の中に生きているすべての人のために死なれて、神と人との間に平和をつくってくださった。


2. 成功の鍵である平和の知恵

神が平和をつくることが知恵だと言われる理由は何だろうか?
第一は、平和こそすべてを神のみこころにあって解決していける成功の鍵であると同時に、神の力と恵みを引き下ろせる祝福の通路だからである。

世には社会的な地位があるのに、へりくだって人々と良い関係をつくる人がいるかと思えば、高ぶって相手を無視する人もいる。いくら飛び抜けた頭脳と力を持っていても、相手を無視して平和を壊すなら、大きい事をやり遂げることはできない。

韓国の朝鮮時代、チョ・ガンジョという人は間違っている制度を正し、理想政治を具現するために、果敢な改革政策を断行しようとした。初めは王も積極的に支持してくれた。しかし、あまりにも急進的に推進していたら、反対派の反発にぶつかって、結局濡れ衣を着せられて処刑されてしまった。もし彼が自分の主張を曲げて反対派をいだいて、平和をつくっていたなら、自分の夢を繰り広げることもできただろう。

このように、職場で実績をたくさん上げても、評判が良くない人がいる。何でもひとりで処理する人のように、自分の力と知恵だけ先に立たせて、他の社員が傷つくようにするからだ。

他の人の意見と状況は無視して、自分の意見と自分のスタイルだけ言い張る。だから、目下の人はもちろん、上司ともぶつかって、結局雰囲気を悪くする人だと烙印が押されてしまう。いくら自分の力が優れていても、平和を壊すなら、知恵が欠けているのである。

第二、平和が知恵だという理由は、平和が壊れるなら神のみわざを体験しにくいからである。
神の働きをするのに、平和はとても大切である。いくら賢くて才能が飛び抜けていても、平和を壊す人は用いられにくい。事を計画して直接行うのは人だが、実を結ばせる方は神である。もし神の働きをする過程で平和が壊れるなら、敵である悪魔・サタンに訴えられる種を与えるのだ。だから、神が働くことがおできにならない。

人のほうからは熱心に働いたようでも、霊的にはしっかりした実を結ばない。それで、ある人は才能もあって神の国のための熱情もあるから、使命を与えたいのだが、ためらうことがある。その人のゆえ人々がつらい思いをして傷つくなど、いろいろな雑音が生じるからだ。

したがって、神の国を実現していくためには、平和が大切な知恵である。能力が足りなくても、平和をつくって一つになれば、神が強くして実を確かに結ばせてくださる。


3. 平和をつくるには、心に善を耕さなければならない

すべての人と平和をつくるには、心に善を耕さなければならない。平和を壊す人の中には、自分が悪いと思えないことが多い。表面的には善を主張しているからだ。しかし、その裏には自分の利益を求める心があるので、平和が壊れるのである。善を追求する人は相手の利益を求めて、平和を壊すことはない。

夫婦の間も互いに自分の利益を求めるから問題が起こる。夫の立場で、妻の立場で、互いに自分に合わせてほしいと思う。自分の利益を求めないで低くなって仕えるなら、夫婦、友だち、同僚など、どこの誰とも平和が壊れることはない。

もし自分が願うほうにこだわって、自分の目に正しいこと、自分にとって楽なほう、自分が目立つほうを主張するなら、これは自分の利益を求めることである。いくら真理を学んでも、心に善を耕していないなら、言葉と行いから善でないものが出てくる。自分の利益を求めてこだわって、相手の心を刺したり傷つけたり、礼儀に反することをしたりする。

心の良い人はすべての事に相手の心を安らかにしてあげる。神の国にとってさらに益になることを求めるが、相手にとって益になることを考慮する。相手が不正を行おうとするのでないなら、最大限合わせてあげようとする。仮に自分のほうが正しくても、相手が他の意見を主張するとき、あえて自分の意見に固執しない。私たちが心から相手に仕えて、犠牲になって低くなろうとするなら、どんな人もいだけるし、いくら悪い人も変えさせることができる。

ところが、相手とぶつかりたくなくて、他の人に認められたくて、真理に逆らうことと妥協していくなら、これは平和をつくったのではない。ここで注意することは、平和をつくるという名目で真理に逆らうことと妥協することである。もしある聖徒が迫害している家族の機嫌をとるために「きょう一日は礼拝を休もう」と思うなら、これは平和でなく妥協である。こういう場合、まかり間違えば相手はもちろん自分さえ神を離れて、死の道に向かうことがある。

信仰のない家族とぶつかりたくなくて、先祖を祭る時に手を合わせたり、食事会で上司の顔色を見て酒を飲むなら、うわべではしばらく平和をつくっているようだが、霊的には神との罪の壁を大きくつくって平和を壊すことになる。

愛する聖徒の皆さん、
<第一ペテロ3:11>に「悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。」とあるので、神とはもちろん、すべての人とも平和を追い求めて、豊かな神のみわざを体験されるよう、主の御名によって祝福して祈る。


 

 

 
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