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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

宝の中の宝は信仰

万民ニュース   第 166 号
3514
2016. 08. 28


堂会長イ・ジェロク牧師





「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)





私たち万民教会の歴史はただ信仰によって歩んで来た道でした。神様はいつも燃える炎のような御目で見守って、信仰を見せるたびに救いと答え、いやしと祝福はもちろん、すべての逆境を栄光に変えてくださいました。まさに宝の中の宝は信仰だからです。


1. 宝の中の宝である信仰の威力

1982年7月25日、教会を開拓した時の聖殿は10坪余りにすぎず、子どもを含めて13人の聖徒で始めました。開拓資金らしきものはやっと7,000ウォンでしたが、信仰によって多くの祈りと断食を積んでいくと、教勢も短い期間にすみやかに成長していきました。

開拓して77日目に170人を超える人が創立礼拝をささげ、それから満5年にならないうちに登録信者が3,000人を超えていました。聖殿を建築する暇もなく、より大きい建物に何度も移さなければならなかったのです。このように教会がリバイバルできた最も大きい原動力はみことばを確かにする神の力でした。

私たちの教会にはいやしのみわざがたくさん現れて、噂が広く伝えられていたのです。全国各地から来た病人と悪霊につかれた人々がいやされ、目の見えない人が目をあけて、歩けない人が歩いて走るようになりました。それ以降、力あるわざは毎年大きくなり、神様は天気も調節して、星の移動やトンボ、いろいろな虹等を通して奇しいことを絶えず現してくださいました。このような力あるわざを体験しながら聖徒の信仰はすくすく成長できたのです。


2. 宝の中の宝である信仰とは?

第一に、神様が上から下さる霊の信仰のことです。

<マルコ9:23〜24>に、悪霊に取りつかれた息子がいやされることを願う父のことが書いてあります。イエス様が「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」と言われると、すぐに、その子の父は「信じます。不信仰な私をお助けください。」と叫んで言いました。

この時「信じます。」と言う時の信仰と「不信仰な私をお助けください。」と言う時の信仰とは違います。父親はイエス様が十分に息子をいやしてくださるだろうという信仰があって「信じます。」と告白しましたが、これは完全に信じられる霊の信仰でない知識的な信仰でした。それで「不信仰な私をお助けください。」と言ったのです。

霊の信仰はみことばどおり光の中を歩んでいるとき、みこころにかなって求めるとき、そして公義にふさわしい器を備えるとき、神様が与えてくださいます。みことばどおり生きないで罪の中にとどまりながら「主よ、信じます。」と言うなら、これは偽りなのです(第一ヨハネ1:6)。

本当に神様が生きておられることを信じるなら、聖書に記された戒めを守り従う行いが伴うはずです。行いのない信仰は死んだものなので(ヤコブ2:17)、どんなみわざも起こすことはできないのです。

第二に、創造主の神を信じるので、従えないことにも従う信仰のことです。

霊の信仰があれば、自分の思いに合わないことも神様が命じれば従えます。創造主の神は自分に最も良いものを下さる愛なる父だと信じるからです。また、創造主の神は全知全能であり、善なる知恵でおできにならないことがないので、神様により頼んで従えるのです。

神様がアブラハムにイサクをささげなさいと言われたとき、彼が肉の思いを働かせたなら、決して従えなかったはずです。しかし、アブラハムは神の良きみこころを信じて、息子が死んでも十分によみがえらせることができると信じたのです。それで、神様はアブラハムの従順を喜ばれ、彼になさった約束もみな実現してくださいました。

私たちの教会の歴史も、ただ従順と信頼の歴史でした。行きなさいと言われれば行って、止まりなさいと言われれば止まりました。施しと宣教をするようにつかさどられるなら、そのとおりにしました。財政がギリギリでも、働きかけられるとおりに主のしもべと働き人を養成してきました。迫害されることを知っていても霊の世界を伝えました。みこころならどんなことでも従ったので、神様が責任を負ってくださったのです。

第三に、どんな状況に置かれても最後まで移り変わることのない信仰のことです。

霊の信仰は、どんな困難がやって来ても、いくら長い歳月が過ぎても、移り変わることがありません(マルコ11:24,ヤコブ1:6〜7)。神様の約束は必ず成就されますが、神様が計画された時と人が願う答えの時が違うこともあります。すべてを知っておられる神様は最も正確な時に成し遂げられます。

開拓の時から教えてくださった神様の摂理を変わらず信じて毎日祈ってきましたが、その道は平坦なだけではありませんでした。時には四方八方から苦しめられているようで、一寸先も見えないような時もありました。しかし、ただ感謝して祈って神様にだけゆだねたら、時間が経つとこの試練にあうようにされた神様の摂理が明らかにされました。五重福音に基づいて教団を創設してキリスト教界にあまねく認められるようになり、海外聖会とセミナーも導き始めたのです。1993年は開拓10余年目にして世界50大教会に選ばれました。

そのうち1998年と1999年にかけて、もう一度大きい試みがやって来ました。主のしもべと働き人の何人かが長い間積まれた自分たちの不正を隠せなくなると、派を作って教会を離れたのです。そうしながら偽りの噂を立てて教会を非難し、キリスト教界と世のマスコミ、放送局にまで流布しました。ところで、この試みが始まる前に、神様はあらかじめ知らせてくださいました。これが災いや患難でなく、かえって祝福のテストだと言われたのです。私は神様のことばを信じて、毎週講壇で大胆に祝福と栄光を宣言しました。

三度の試みが終わって2000年になると、ムアン万民教会では、塩辛い海水だけ湧いていた井戸から飲める水が湧く、驚くべき創造のみわざが現れました。そして、ウガンダ聖会を基点に、本格的な海外連合大聖会が開かれ始めたのです。多くの人が偶像を捨てて改宗し、放送を通していやされた証しも絶えず続きました。

2007年からはイスラエルの地にもイエス・キリストを伝えられるようになりました。この他にも世界キリスト教医師ネットワーク(WCDN)と万民国際神学校(MIS)が組織され、GCN放送を通して放送宣教の門が大きく開かれ、文書宣教も活発になりました。全世界のすみずみまで聖潔の福音と神の力あるわざを伝えられるようになったのです。

愛する聖徒の皆さん、
開拓以後、神様は私たちとともにおられ、すべてのことに栄えるように祝福してくださいました。今までも神様の栄光が大いに現れましたが、これからは前と比べられない栄光として現れるでしょう。さらに急速に変化の波に乗ることはもちろん、キリスト教界がこの教会に現れる聖霊のみわざと一つになって、炎が燃え立つようになるでしょう。このような希望をもって皆さんすべてが純金のような信仰を持ち、神様の栄光の道具になりますように。


 

 

 
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