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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

創造主の神

万民ニュース   第 167 号
4761
2016. 09. 25


堂会長イ・ジェロク牧師





「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)




信仰生活をするならば「創造主の神がなぜ善悪の知識の木を生えさせて、なぜイエス様だけが人類の救い主になるのか、なぜ地獄を造られたのか」などについて確実に知っていなければならない。教会ではこれに対する答えを提示し、世界の始まる前から隠されていた奥義である「十字架の救いの摂理」を明らかに教えてこそ、聖徒がまことの信仰を持てる。何よりもまず創造主の神について調べてみよう。


1. 天地万物を創造された神

世には神はいないと主張する人々がいる。また、人の想像の中で作り出したものや被造物の形に仕えている人もいるが、まことの神はただ創造主の神おひとりである。人の目で見ることはできなくても、創造主の神は確かに生きておられる。その方は宇宙万物と人を創造した方であり、万物の支配者であり、審判者であられる。神は被造物である人を超越した方で無限の方であるから、人のほうから神を説明することは簡単ではない。人の限られた知識では、いくら探り究めても完全に理解して悟ることもできない。

しかし、聖書は神について明快に説明している。<創世記1:1>に「初めに、神が天と地を創造された。」とある。神は無の状態から六日間でことばで天地を創造されたし、創造の終わりの日である六日目には、人類の先祖である最初の人アダムをお造りになった。

このように人は神に造られた存在なので、心の奥深くから本能的に神の存在を感じる。<伝道者3:11前半節>に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。」とあるとおり、神がその心に永遠を与えられたので、良心が正しい人々は、たとえ神について聞いたことがなく知らなかったとしても、漠然とではあるが神を認めて捜しているのだ。

<ローマ1:20>には「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」とある。このみことばのように神をじかに拝見できないとしても、被造物を見て、創造主の神が生きておられることと創造主がおひとりであることがわかるのだ。


2. 創造主の神を信じられる明らかな証拠

まず、世の多くの人種と民族が顔つきはもちろん言語や文化が違い、肌の色もいろいろだが、共通して目が二つ、耳は二つ、鼻と口は一つであり、その位置が同じだということだ。同じように、動物や鳥と昆虫、魚も、それぞれの特性によっていくらかの違いはあるが、基本的に全部同じ構造を持っている。これはまさに唯一の創造主なる神の設計の下で造られたからである。創造主がたくさんいたなら、それぞれ好きな構造と機能で創造するだろうから、人や動物が同じ構造と機能を持つことはないだろう。

反対に進化論者は、下等生物から高等生物へと進化して、ついに人になったと言う。しかし、<創世記1:21>に「神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。」とあるとおり、神は初めからすべてのものを種類にしたがって創造された。魚が進化して陸地動物になり、陸地動物が進化して鳥になったのではない。類人猿が人に進化したのではなく、猿は初めから猿として造られ、人は初めから人として造られたのだ。ただ人だけが神のかたちに似るように、霊とたましいと肉を持つ存在として造られた。猿がいくら人間に似ているとしても、神のいのちの息が吹き込まれた人のように神の存在を悟って拝することはできないのだ。

次に、自然現象を見ても確かだ。地球の自転と公転によって地球にはいろいろな規則的な現象と昼と夜ができて、四季と満ち潮、引き潮ができて、大気が循環するようになる。このような天体の位置や動きは人や生命体が生きていくために最も適した環境に設定されている。太陽と地球の距離も、地球と月の距離も、ちょうど良い。もっと遠くても近くてもならない最も適切な距離で、想像もできない永い歳月を一寸の誤差もなく規則的に自転と公転をしてきたのだ。進化論者の主張のようにビックバンによって偶然に成るはずがない。

たとえば、時計は多くの付属品が精巧に組み合わさって動く。ところで、誰かが「この時計は火山が噴火して、付属品がひとりでに組み合わさって規則的に作動し始めました」と言うならば、はたして信じる人がいるだろうか? まして時計とは比較にもならないほど精巧な宇宙がどうひとりでにできて、正確な秩序のうちに自分で運行できるだろうか。

これは極めて優れた神の知恵で宇宙万物が計画されて創造され、動いているので可能なことである。まさにこのような明らかな証拠があるので、最後のさばきの日には誰も「私は神様がおられることを知りませんでした」と弁解できないのだ。


3. 創造主の神を信じない理由

それなら、人はなぜ創造の明白な証拠を見ながらも神を信じないのだろうか? 人は目に見えて触れるもの、自分の知識や思いで理解できることだけを信じようとするからである。神がいるという事実や聖書に記されているしるしと不思議など、人の力からはみ出すことは認めようとしない。しかし、聖書のすべてのみことばは真実である。

<ヨハネ4:48>に「そこで、イエスは彼に言われた。『あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。』」というみことばのように、人の限界を超えるしるしと不思議を見るとき、人の思いと枠が打ち砕かれる。全く不可能なことを見て聞いて体験するとき、自分の知識とみことばが一致しなくても、みことばだけがまことであり真理であるということを認めるようになるのだ。

聖書を読めば、神は数多くの力あるわざを行われることによって、ご自身の生きておられることを見せてくださった。神を信じないエジプトのパロと臣下に、モーセは十の災いを通して神を現わしてみせた。イエス様もしるしと不思議を通してご自分が神の御子であることを証しされたし、使徒パウロはイエス・キリストの御名によって病気とわずらいをいやし、悪霊を追い出して死んだ者を生かした。

私たちが生きていくこの時代にもこのような神のみわざはどうしても必要で、神の力は信じない人々が生ける創造主の神を信じるようにさせる最も確かな証拠になる。それで、私たちの教会では開拓してから今まで、しるしと不思議が数えきれないほど現れたし、時間が経つほどさらに大いなる神の力が現れている。

愛する聖徒の皆さん、
神の生きておられる証拠は宇宙万物やしるしと不思議、神の力あるわざの中に確かに現れている。したがって、神を恐れてその命令のとおり生きていくことで神のみわざを体験し、心尽くして栄光を帰されるよう、主の御名によって祈る。


 

 

 
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